『あやかしびと』のSS「姉川さくらルート」妄想追加ルートです。
『あやかしびと』及び『あやかしびと―幻妖異聞録―』のネタばれを含みます。ご注意ください。
俺たちが神沢市に来て、一ヶ月が過ぎようとしていた。
思い起こせば、この四週間はまさに激動と形容するにぴったりのものだった。
すずとの『対話』、琥森島からの逃亡、おっちゃんとの出会いと別れ、神沢市での新生活、会長や鴉さんとの戦い、八咫鴉との対面、人妖の起源、すずとすずのお母さんの過去、俺たちを追って来るであろう敵、幻咬の尾とドミニオン、そして、生徒会に入って、友達が出来て。どれひとつをとっても、信じられないことばかりだ。
普通に考えたら一生経験するはずのないような事から、ごくごく当たり前の出来事まで、俺たちにとってはそのすべてが新鮮で、未知の世界。それらがこの一ヶ月の間に一挙に押し寄せてきたのだ。これを激動といわずして、なんと言えばいいのか。
けれど、時の力とは不思議なもので、そんな俺たちでも少しづつ、神沢市での生活に溶け込んでいけていると思う。
そう、俺だけじゃない、すずも。
「さようなら、如月さん。またあしたね」
「うん、また……あした」
放課後、生徒会室に向かう前の、教室でのちょっとしたやり取り。なんでもない日常。だけど、一ヶ月前のすずには、それは想像すら出来なかったことだと思う。
今でもすずの人間への不信感が完全になくなったとはいえないだろう。過去にあんなことがあったのだ。そう簡単に人間への認識を改められるわけがない。けれど少しずつ、でも確実に、変わり始めている。
すずの変化も、生徒会のみんなとの交流によるところが大きいと思う。特にさくらちゃんと美羽ちゃんは、すずと本当に仲良くしてくれていている。
三人が気が合うということももちろんある。けれどそれだけではない。少し引っ込み思案なところのある美羽ちゃんと、人間に対して積極的になれないすずを上手くまとめているのは、さくらちゃんだった。
美羽ちゃんが一歩先へ踏み出せないときには、そっと手助けをする。すずが素直になれないでいるときには、やんわりと、時には自分からお願いするといった形で接する。しかも、その行動ひとつひとつに全くわざとらしさがない。
わざとらしさのない理由。それはきっと、さくらちゃんが三人でいることを本当に楽しいと感じてくれているから。だからすずも、ふたりに気を許し始めている。変わり始めている。
少しずつでいいのだと思う。ゆっくりでいいのだと思う。その一歩一歩が積み重なっていけば、きっと……。
期待を胸に秘めたまま、今日もすずとふたりして生徒会室へ向う。
その途中、廊下の少し先を行くさくらちゃんと美羽ちゃんを見つけた。
「おーい、ふたりとも」
追いかけながら、声をかける。
「あ、双七さん、すずさん。お疲れ様ですっ」
「お疲れ様です」
ふたりともこちらに気づいて立ち止まってくれた。
「お疲れ様」
追いついて言う。すずも
「えっと、お疲れ。……ふたりとも生徒会室に行くところ?」
と、まだ少しぎこちなさが残るものの、ちゃんと挨拶を返した。
「はいです」
そう言ってこくりと肯く美羽ちゃん。顔を上げて
「すずさんと双七さんもですか?」
と尋ねてくる。
最近、美羽ちゃんは、俺たちともも、ぬいぐるみ越しでなく、直接話しをしてくれるようになった。変わっているのはすずだけじゃない。美羽ちゃんも、俺たちのことを友達と思ってくれている。そう思うと、気持ちが一層明るくなってきた。
すずは、そうよと、軽く肯定したあと、
「……じゃあ、一緒に、行く?」
そう付け加えた。
美羽ちゃんは頬を緩ませて、もう一度こくりと肯いた。
以前はさくらちゃんや美羽ちゃんに声をかけられるだけの受身状態だったすずが、最近は自分からふたりを誘うようになった。
その光景は、本当に大したことのない日常の1コマなのだと思う。そうなって欲しいと思う。そうなるべきなんだと思う。だけど。みっともないと、止めたいと思っているのに、目が勝手に……。
「双七さん、ハンカチいります?」
さくらちゃんが、にこりと笑う。それはトーニャのような悪魔めいた笑みとはまた違う、けれどやっぱり温和さの中に愉快さを滲ませた笑みだった。
「うぁ、だ、大丈夫。泣いてない、泣いてないから」
右手の親指と人差し指で目頭を強く押さえ、なんでもないと左手を振る。
「ふふっ、そういうことにしておいてあげます」
さくらちゃんは楽しそうにそう言った。
四階の生徒会室への階段を上がる。そんなに幅がある階段ではないので、すず、美羽ちゃん、さくらちゃんが並び、俺はその後ろにまわった。自然と、さくらちゃんの背中に目がいく。
すらりとした長身に、出るところはとことん出て、絞るところは絞られた、均整の取れたプロポーション。
さくらちゃんはこの体形にコンプレックスを持っているという。過去に嫌な思い出もあるそうだ。
だから、本当はこんなこと考えるのは失礼なのだと思う。思うけれど、やっぱりさくらちゃんの体は見惚れるぐらい、綺麗だ。いや、それは決して不純な意味ではなくて、まるでモデルみたいというか、教科書に載っているギリシャ神話の彫刻のような、そんな思わず嘆息してしまう程の……。
最初はつい、さくらちゃんが先輩だと勘違いすらしてしまった。しかし、さくらちゃんが年上のように感じられるのは、なにも体形について意識したときだけじゃない。
さくらちゃんは、なにかしらの不和があると、自然とその場の空気を和ませてくれる。人をリラックスさせる香りを出せるという能力に限らず、その場の雰囲気を読み、いろいろなことに気遣いが出来る。それは人妖能力とは別の、世間と無縁だった俺には眩しいくらいの、彼女の力。
だけど、さくらちゃんのお世話になってばかりでは、いけないと思う。先輩だからなんて言うつもりはない。そもそも人生経験ゼロの俺に、先輩の資格なんてない。でもせめて、変な行動を取って、さくらちゃんの負担になったりしないように気を付けたいのだ。
この学園生活に慣れるためにも、人間関係についていろいろと学ばないと。
そんなことを思っているうちに、生徒会室にたどり着いた。
生徒会室には、俺たち以外のメンバーは集まっていた。いつもの席に座ると、会長が口を開いた。
「これで全員そろったな。では、はじめよう。本日は早急に話し合っておかなければならない議題がある」
言葉を切り、一拍子置いてから、会長は続ける。
「以前より、下校中に誰かにつけらる、との苦情が来ていることは、もう話したな」
「……なんかあったか」
だらけていた上杉先輩の顔が、引き締まった。あたりの空気にも緊張が走る。
「いや、今のところ実害は出ていない」
その言葉に一同、軽く息を吐く。場が落ち着くのを見計らって会長は言った。
「だが、その苦情の件数が日に日に増していてな。生徒の間にも不安の色が広がっている。生徒会としても何らかの対策を講じない訳にはいかない」
「対策――ですか?」
俺の言葉に会長が答える。
「ああ。部活動等で下校の遅くなる生徒たちには、男女混合の複数人で帰るよう加藤先生より通達してあるが、この状況が長引くのは得策ではないからな。なにか意見はないだろうか」
会長は全員を眺めた。
頭を何度かかきむしり、上杉先輩がうめく。
「ああ、ったく!まどろっこしい!どうせ金嶺の奴らなんだろ。やっぱり直接やっちまわねぇか、愁厳。智天使薬(ケルプ)のことだってあるんだしよ」
「駄目だ。前にも言ったが、うかつにこの学園と生徒会の名に瑕をつける愚は犯せん。それに智天使薬(ケルプ)についてはともかく、この件に関しては金嶺学園の生徒の仕業だという確証もない」
会長の言葉にトーニャが応じた。
「では、間接的なことで抑止するしかありませんね」
トーニャの言葉に俺は再び口を開く。
「間接的なこと?」
俺の問いかけに、トーニャがこちらを向いた。
「例えば万引き防止のために防犯カメラを設置するとか、そういった類のものです。相手に、やり辛い、危険だ、と思わせるものですね」
トーニャの言葉を受けて七海さんが言う。
「けど、防犯カメラって言っても、そんなものを通学路に設置する予算も、管理する体制もありませんよ」
そこにさくらちゃんが続いた。
「それに、いくら防犯のためとはいえ監視されているっていうのはいい気がしませんよ。通学路は公共の場ですから、勝手にそんなことしたら地域の人たちから文句を言われるんじゃないでしょうか」
それらの意見を受け、会長が言う。
「ふむ、どちらにせよそういったことをするのは学校側の独断では不可能だ。神沢市警や市役所との連携が必要になるが、実害が出ていない以上、取り合ってはもらえんだろうな」
「あのっ」
おずおずと美羽ちゃんが手を上げる。
「なんだね、新井くん」
会長の言葉に、美羽ちゃんは人形を前に掲げた。
「防犯カメラがダメなら、誰かが見回るのはどうですか?わたしのよく行く本屋さんなんですけど、私服警備員巡回中って張り紙を貼ってたりするのです。だから……」
美羽ちゃんの発言を受けてトーニャが口を開き、
「ああ、あれね。店によっては張り紙を貼ってるだけで、実際には警備員なんていない場合もあるんだけどね」
と、衝撃の事実を突きつけた。
「そ、そうなんですかっ?」
前髪の奥で目を見開いて驚く美羽ちゃん。
そしてその影で、声に出さずにこっそりと驚く俺。そ、そうだったのか……。これまで普通にいるものだと信じてた。トーニャあたりにからかわれる前に知ることが出来てよかった。
「知りませんでした……」
小さくうなだれる美羽ちゃん。トーニャはその様子に優しげな声で応じ、
「気にすることはないわよ。ほら、そこの万年お人よしも知らなかったみたいだし」
と、視線を俺に移す。
俺はといえば急なことに、
「な、なんでわかった!?」
と思わず認めてしまった。
「なんでって、そんなにあんぐり口開けて驚いてたら誰でも気づきますよ」
にやりと薄く笑うトーニャ。
ぐあ、顔に出てたか。思わず口に手をやる。
すずがやれやれといった感じで
「双七くんって、思ったことがそのまんま顔に出ちゃうのよねぇ」
すずに言われるとは……。
ショックを受けているところに、更に追い討ちをかけてくるトーニャ。
「いわゆるギャンブルで一番最初にカモられるタイプですね。人数足りないんだ、とか、これも社会勉強だ、とか口車に騙されて参加したとたん、あれよあれよとすっからかん。それでもカモられていることに気づかないどころか、始めたばかりにしては筋がいいぞ、なんておだてられては喜んで、ああっ、なんて間抜け、もとい、可哀想な如月くん」
可哀想といいながら、眼は思いっきり笑っている。ああもう、楽しそうですねちくしょう。
上杉先輩が横から口を出し、
「んー、双七の場合はどっちかってーと、詐欺に引っかかりそうだけどな。単純だし、ころっと騙されそうだろ、双七は」
上杉先輩にだけは言われたくない。
「そうですね。保証人になってくれと泣き付かれて断れずに判を押した途端、相手に逃げられるわ、借金押し付けられるわ、それはもう素敵な未来が見えますよ」
そしてどうしても俺を破産させたいトーニャ。なぜにそんなお先真っ暗な未来を、今から背負わされなきゃいけないのでしょうか。
隣では
「あー、ありえる、それ」
と肯くすず。こんな時に限って同意しないでくれ、頼むから。
さらには狩人まで
「確かに、双七くんは正直者はなんとやらを地で行きそうだねぇ」
と、みんなそろって言いたい放題だった。
とりあえず美羽ちゃんと一緒にうなだれることにする。
「ま、まあ。美羽ちゃんも双七さんも、気を落とさないで。そのですね、それがいいところというか、それだけおふたりが純粋だっていうか……」
さくらちゃん、うれしいんだけど、それ微妙にフォローになってないような。
と、その時、大きな咳払いがひとつ。
「そろそろいいかね?」
言ったのはもちろん会長だった。
『すいません』
一同反省。
静かになったところで会長が続けた。
「さて、ではあらためて新井くんの意見。通学路付近に見張りをおき抑止力とする、といったものだが……」
さくらちゃんが大きく手を上げて質問する。
「見張りって、さっきの話ですと、警備員ですか?」
その言葉にすずが反応した。
「といっても、まさか本当に警備員を配置するわけにはいかないんでしょ?」
すずの言葉にこんどは七海さんが
「そうね。予算の問題もあるし、それにそういうのは学校運営の領域だから、先生たちの了解も要るわ。生徒会の権限で今すぐ出来ることといったら、わたしたちが放課後に見回ることくらいかしら」
と提案した。
「それが一番、現実的でしょうね」
言って、狩人が肯く。
こんどはトーニャが手を上げた。
「でも、誰がするんですか?見回り」
トーニャのその疑問に答えたのは会長だった。
「危険がないとは言い切れん。もしものことがあるからな。襲われたりした場合に対処できる人物が適任だろう」
上杉先輩が生徒会室をぐるりと見回し、
「となるとこの面子では、俺に愁厳に刀子、トーちんと双七か。東西南北と分担すればちょうどいいな」
上杉先輩の意見に、会長が首を縦に振る。
「ああ。だが、各人がひとりで見回るというのは、いささか問題がある。生徒には出来るだけ男女複数人で帰宅するように通達している。なのに生徒会のメンバーが放課後にひとりでうろついては、しめしがつかんからな」
「要はひとりじゃなきゃ良いんだろ。その四人にそれぞれ誰かが付いて行きゃいいんじゃねーか?」
上杉先輩の言葉に狩人が口を挟んだ。
「ですが、この生徒会室に残るメンバーも必要だと思いますよ。もしものことがあった場合、加藤先生や警察にも連絡を取らないといけませんからね」
「それもそうか……」
肯く上杉先輩。会長が出揃った意見をまとめて
「では、見回りは明日から。外回りは刑二郎、トーニャ君、双七君に加えて各人パートナー一人ずつ、そして俺と刀子の八人。残るふたりが生徒会室にて、もしもに備えて待機、ということでいいだろうか」
確認を取りつつ、一同を見る。
「いいけどよ。しつこいようだが、おまえと刀子ってのは、それでしめしは――」
上杉先輩の言葉に、なにか問題でもあるか?というように首を傾げる会長。
「――まぁ、いいや」
至極もっともな疑問だったのだが、結局、上杉先輩も肯いた。他には特に反対する者もなく、放課後に見回りをすることになった。
そうと決まれば、次は誰と見回るかなんだけど。
「すずは……」
「面倒だからパスいちー」
言うと思った。となるとさくらちゃんか狩人、あるいは七海さんか美羽ちゃんということになる。けど男女混合でなければならない以上、トーニャは狩人と回ることになるわけで。
そうすると、俺のパートナーはさくらちゃんか七海さんか美羽ちゃん、ということに……。
そこまで考えて、自然と上杉先輩のほうに目が言った。
「んじゃ俺は、っと……」
上杉先輩の言葉に、美羽ちゃんが震える。人形を降ろし、
「……っぁ、あの」
と小さく口を開く。けれどそれに気づかず上杉先輩は
「伊緒、明日の放課後、時間あるか?」
と、七海さんに声をかけてしまった。
「えっ?大丈夫、だけど……」
「おし。んじゃ、決まりだな。後は双七か」
ひとりで納得してしまう上杉先輩。
一方で美羽ちゃんは
「……ぁ」
と口を閉ざし、出かかった言葉を飲み込んでしまった。
「美羽……」
すずの呟きに、美羽ちゃんは
「へ、平気です。わたしがのろまだっただけだから……」
と力なく答えた。どうにも気まずい雰囲気の中、一人その空気に気づいていない上杉先輩が
「ん?どした、お前ら。変な顔して」
と首をかしげる。
七海さんが、安堵と苛立ちのの入り混じったような複雑な表情で、
「どうもしないわよっ!」
と、上杉先輩の頭を軽く叩いた。
「な、なぜに?」
上杉先輩の問いに答える人はいなかった。
それはともかく、これで残るは俺だけとなった。美羽ちゃんかさくらちゃん、どちらかに付いてきてもらわないといけないわけだけど、と考えているうちに、美羽ちゃんが口を開いた。
「双七さん、さくら。わたし、すずさんと一緒に残っていいですか?」
その言葉にピンと来た。上杉先輩は七海さんに「明日の放課後、時間あるか?」と言った。それは言い換えれば、明後日以降に上杉先輩と見回りするチャンスがあるかも知れない、ということだ。となれば、いざというときそのチャンスを掴めるよう、美羽ちゃんは生徒会室に残る必要がある。
わかった、と美羽ちゃんに肯き、心の中で少し得意になった。俺だって少しずつこの日常に慣れてきている。それくらいの人間関係の機微は身につけているのだ。
となれば後はさくらちゃんの返答次第。さくらちゃんのことだ、そういうことなら見回りの役目も進んで受けてくれるだろう、と思ったのだけれど……。
「えっと……うん、わかったっ。ありがとう、美羽ちゃん」
なぜか慌てたり焦ったりといった様子で肯くさくらちゃん。というか、どうしてさくらちゃんがお礼を言っているんだろう。
「ファイトなのです、さくら」
「うん!」
俺の疑問を他所に、ふたりは肯きあっていた。
その後の話し合いで、生徒会が見回りを行うことは、掲示板での告知のほか、学園新聞およびホームルームで通達することになった。校内に広がる不安感の払拭と、後を付けている人間への抑止、その目的のためには見回りをしていることが広く知られなければならないからだ。
だから新聞部に協力してもらうのは当然のはずなのだが。
「あー、新聞部、新聞部なぁ……」
なぜか上杉先輩は気が進まないという感じにうめき、会長以外のみんなも苦笑いを浮かべていた。
結局、新聞部への協力要請は会長が行うということに決まった。