姉川さくらルート3 すずとエプロンとさくらちゃんと

 『あやかしびと』のSS「姉川さくらルート」妄想追加ルートです。

 『あやかしびと』及び『あやかしびと―幻妖異聞録―』のネタばれを含みます。ご注意ください。

 

 

「それで、いったいなんだったんですか?あの騒ぎは」

 スーパーの外、できるだけ通行に邪魔にならないようにと選んだ駐輪場の端で、話を切り出した。

 目の前には刀子先輩に七海さんにトーニャ、そして美羽ちゃんが並んでいる。

 事の顛末は至極単純。

 聞きなれた声の悲鳴が店内に響いたため、慌てて駆けつけたところ、買い物客の多い夕方のスーパーで斬妖刀を引き抜こうとしている刀子先輩と、それを必死に止めようとしている三人にばったり、というわけだ。ちなにみその騒ぎは、刀子先輩が取り乱した原因をトーニャが踏み潰したことで収束した。その原因とはすなわち――。

「だ、だって、私の靴の上に、ご、ご、ゴキさんがぁ……」

 とのことだ。言いながら思い出してしまったのか、全身を震わせる刀子先輩。いや、いくらなんでもスーパーでゴキブリ相手に斬妖刀を振り回すのはどうかと思うのですが。

「なんですかゴキブリくらい」

 靴を地面に擦りつけながら、そうのたまうトーニャ。こちらはこちらでなんて豪快な……。まあゴキブリに悲鳴をあげるトーニャなんて想像もできないというか、想像するのも恐ろしいと言うか。

「……今ものすごく失礼なこと考えませんでしたか、如月くん」

「そ、そんなことはありませんよ?」

 さすが自分に対する悪意は見逃さない。なんでそう鋭いかなぁ。

 と、そんなことはこの際、置いておくことにする。今は他に確かめなければならないことがあった。刀子先輩が落ち着くのを待って、口を開く。

「えっと、それで、偶然ってわけじゃないんですよね、やっぱり」

 俺の言葉に刀子先輩と七海さんと美羽ちゃんが順番に答える。

「も、申し訳ございません」

「ごめんなさい。トーニャに誘われてつい……」

「ごめんなさい、です」

 一様にしゅんとうなだれる。様子から察するに、最初からつけていた模様。

「トーニャはともかく、刀子先輩や七海さんに美羽ちゃんまで……」

「わたしはともかくって、そんな酷い!如月くんはわたしのことそんな風に思ってたんですか!?しくしく……」

 ぶりっこな声で泣きまねする。

「いくら俺でもそんな白々しい泣きまねには騙されないぞ。トーニャ」

 主犯候補ナンバーワンがなにを言う、という感じだ。

「如月くんはわたしのこと信じてくれないんですね!あの夜、『たとえなにが起ころうと、俺はトーニャを信じる』って耳元でささやいたのは、あの言葉は嘘だったんですか!?」

「そんな恐ろしいこといった覚えはこれっぽっちもありません!だいたい、あの夜ってなんだよ」

 トーニャは一瞬ムッとしながらもすぐに表情を取り繕い、

「ひどい!あれだけ激しく求めたくせに!抱ければそれで良かったんですね!甘い言葉で釣りながら散々欲望のはけ口にしておいて、用が済んだらボロ雑巾の様に捨てる気なんだ!しくしくしくしく……」

 両手で目を拭う。が、当然泣いちゃいない。

「だあぁ、こんなところで妙な冗談言わないでくれ!」

「双七さん……まさか」

 なにやらおぞましいことを呟くさくらちゃん。

「さくらちゃんも、信じないで!」

 必死に冤罪を主張する俺に更なる追い討ちが。

「双七さん、その、そういったことには、せ、責任を持ってですね」

「……ケダモノ?」

「刀子先輩に美羽ちゃんまで!?ち、違う、俺は無実だぁ!」

 三人に否定している横でトーニャが早口に言う。

「しくしく……わかりました、わたし、如月くんのこと忘れられるよう努力します。如月くん、これまで楽しかったよ。さよなら!」

 そのままオトメチックな小走りで駆け出そうとするトーニャ。

「って、ちょっと待った」

 ガシリと、その襟首をすんでのところで捕まえた。

「如月くんの言葉にいたく傷ついたわたしは傷心の旅にでますので止めないでください」

 本人いわく傷心らしいトーニャが、平然と言う。

「傷ついている本人が、さらりと言うな!その設定はもういいから、ちょっとこっちに来てくれ」

 急に小芝居を始めたと思ったら、どさくさにまぎれて逃げようとしていたは、まったく油断がならない。

「如月くん離しなさい!離しなさいったら、はーなーせー」

 その後四人(というか主にトーニャ)に、今後は人の買い物をこっそりつけたりしないと約束をしてもらい、別れた時には、もう辺りは真っ暗だった。

 

 

 

「で、そんなわけでトーニャを説得したりしてて遅くなったんですが、ご納得いただけましたでしょうか」

 赤くなった腕をさすりながら、すずにお伺いを立てる。部屋に着くなり、帰りが遅いと噛み付かれ、すずは未だにご立腹の真っ最中だったりするのだ。

「まったく、あの狸娘は……。まあ、そういうことなら許してあげる。けど、今度からは遅くなるならなるで連絡入れないと駄目なんだからね」

 すずは未だ不機嫌そうながら、俺の説明に納得してくれた。それはありがたいのだが、できれば問答無用で噛み付く前に許して欲しかったなぁ、という言葉が咽喉元まで出掛かったところで、ぐっと飲み込んだ。これ以上のごたごたは避けたいところである。もたないから、主に俺の精神力が。

「それじゃあ、少し遅くなりましたけど、夕食の準備にしましょうか」

 さくらちゃんが、なぜかいつも以上にわくわくと、楽しそうなそぶりで言う。

 俺としても反対する理由はないのだけれど……。

「すず。おまえは夕食は……」

 俺の問いをみなまで聞かずにすずが答えた。

「食べてないわよ。双七くんが夕食までには帰ってくるって言ってたから、待ってたの。八咫鴉は家で食べていけって言ったんだけど。まさかこんなに待たされるとは思ってなかったからねぇ」

「そっか。……ごめん。気づかなくて」

 すずにちゃんと帰って来いといっておいて、自分が遅れていれば世話はない。素直に謝る。

「もう。いいから、そんなにしょげないの」

 本当にすずはもう怒ってないらしく、そんな俺の様子を軽く笑い飛ばしてくれた。

「ああ。これ以上遅くなっても悪いし、それじゃあ、作ろっか」

 と気を取り直した言う俺の提案に、今度はさくらちゃんがストップをかけた。

「あ、ちょっと待ってください。作るに際してお渡ししたいものがあるんです」

 ええっと、と言いながら、買い物袋に手を入れるさくらちゃん。でもそれって今日買ったものじゃ……。

「じゃじゃん!双七さん専用エプロン!」

 そう言ってさくらちゃんは、紙袋を差し出してきた。

「えっ?」

 俺専用?突然のことに、わけがわからなくなる。

「ほら、双七さん、夕食作りの手伝いしてくれるときも、エプロンもってなかったじゃないですか。料理中にお洋服が汚れても大変ですし、だから」

 聞けば、さくらちゃんは前々からそのことが気になっていたらしい。そして、どうせならエプロンをプレゼントしようと、今日の買い物に至ったのだという。

 つまり、今日のさくらちゃんの買い物の主目的は、このエプロン?

「え、いや、でも、じゃあ、本当に、俺に?」

「はい!どうぞ使っちゃってください」

 さくらちゃんはさらにずずいっと紙袋を出してくる。とすると俺は、日ごろお世話になっているお礼をしようと思いながら、逆に、更にお世話になっていた、ということになるのか。顔中に熱が集まっているのが良くわかる。ありがたいやら恥ずかしいやら、どういっていいのかわからない。俺は世間知らずで、迷惑ばかりかけてて、そんな俺が、こんな好意を受けていいはずがないのに。

 そんな負目から、

「で、でも……」

 と、なおも受け取れずにいる俺の様子に、さくらちゃんが一転、落ち込み始めた。

「あ……ご迷惑、でしたか?」

 しゅんとして、そんなことを言う。そのさくらちゃんの杞憂だけは、全力で否定する。

「迷惑だなんて、そんなこと!むしろ凄くうれしくて、ありがたすぎて、だけど、そんなに安いものじゃないし……」

 しどろもどろになる俺に、すずがしょうがないなぁ、といった口調で言った。

「ほら、双七くん、もう買っちゃってるんだし、素直にもらっときなさい。もらわないと逆に失礼でしょ」

「すず……」

「そ、そうですよ。受け取ってくれないとわたし、泣いちゃいますよ」

 な、泣くって、そんな。うろたえる俺に効果ありと見たのか、さくらちゃんはここぞとばかりに

「そ、それはもう号泣ですよ、どばどばですよ、涙の滝を作りますよ!」

 とよくわからない攻勢に出る。ここまで言ってもらって、いらないなんていえるはずがなかった。

「うん。じゃあ、ありがたく使わせてもらうよ。ありがとう、さくらちゃん」

「はい!」

 さくらちゃんは満面の笑顔で答えてくれた。

「うんうん、よかったよかった。それじゃあさっそく夕食に……」

 一件落着とばかりに肯くすずを、さくらちゃんがまたもや止めた。

「ちょっと待ってください、すずさん。すずさんの分もあるんですよ」

「へっ?わたしの分?」

「はい。これがすずさん専用エプロンです!その、よかったら、受け取ってください!」

「え、あ、その、そ、双七くん……」

 よっぽど意外だったのか、すずはあわあわと、なんと言っていいのか判らないといった風にうろたえる。

「ほら、もらわないと、逆に失礼になるんだろ」

 さきほどすずに言われた言葉を、そっくりそのまま返す。遠慮してもさくらちゃんを悲しませるだけなら、すずの言ったとおり、ここは好意をありがたく受け取るしかない。俺になにができるのかはまだわからないけれど、後でこの恩を全力で返すのみだ。

「あ、で、でも……」

 すずはまだ戸惑ったように瞳をきょろきょろと動かしている。人間への不信感と、最近の生徒会のメンバー、特にさくらちゃんや美羽ちゃんとの交流との間で、せめぎあっているかのようだった。

 だけど、

「駄目、ですか?」

 というさくらちゃんの言葉に、すずは、

「じゃ、じゃあ、……もらっとく」

 と、小さく、でも確かにさくらちゃんを見つめて、そう答えた。

「はい!ありがとうございます!」

 すずの返事に、さくらちゃんはぱっと顔を輝かせる。普通、そこでお礼を言うのはすずのほうだと思うんだけど、さくらちゃんはまったく気にしていない。というより、心の底からうれしそうだ。

「……開けても、いい?」

 遠慮がちにそう尋ねるすずに、

「もちろんです!」

 と、さくらちゃんは楽しそうに答えた。

「あ、じゃあ、せっかくだし、俺も」

 言って、紙袋に手をかけた

「どうぞどうぞ、思いっきり開けちゃって下さい。お料理に使ってこそエプロンですから」

 さくらちゃんの返事を待って紙袋を開ける。中に入っていたのは、落ち着いた紺にワンポイントマークのはいったエプロンだった。無地と言うわけでもなく、派手すぎることもなく、長く付き合っていくのにもってこいだ。

「ど、どうですか?」

「うん。気に入ったよ。改めて、本当にありがとう」

「よかったぁ」

 ほぅと息をつくさくらちゃん。その横ですずが声をあげた。

「お、おおおぉ……」

 覗いてみると、すずの手には橙色のエプロンが握られていた。前掛けにはディフォルメされたきつねのイラストが描かれている。

「おっ、かわいいじゃないか。良かったな、すず」

「う、うん」

 素直に返事するすず。どうやら感激に我を忘れている模様。そのためか、

「せっかくですから、つけてみてくれませんか」

 というさくらちゃんの提案にも、すずはあっさりと肯いた。

「わ、わかった。ちょっと待ってて。えっと、この紐が首で、この紐を、腰にまわして、っと。ど、どうかな」

 言って、くるりとまわる。すこし長めのエプロンの裾がふわりと揺れた。

「うん。よく似合ってる。かわいいかわいい」

「ばっちりですよ、すずさん」

 俺たちの言葉にすずは

「そ、そうかな。やっぱりそうかな、うん」

 とご満悦だった。

 そのように紆余曲折を経て夕食の準備となったのだが、やはりエプロンをつけようがつけまいがすずはすずで、生肉をつまみ食いするわ、卵は殻ごと混ぜるわと大騒ぎだった。

 出来たハンバーグカレーも、ハンバーグが焼きすぎで少し焦げていたりした。

 それでも、料理が楽しく、美味しく感じられた。

「次は焦げないように頑張りましょう」

 と言うさくらちゃんに、

「うん。頑張ろう」

 と答える。次がある、そのことが嬉しかった。

 せっかくエプロンを貰ったんだ。このエプロンに負けないように料理も憶えなければ。

 新しい目標がひとつできた。自分のことながらずいぶん単純だと思う。だけど、そんな目標が掛け替えのないことのように思えた。

 あの施設での停滞した時間とは違う。自分で目標を作り、より良き道へと進んでいけるのだから。

 そんな愛すべき生活が、ここにはあるのだからから。

 

 

 

 夕食後、例によってさくらちゃんを送ることになった。

 いつもの信号の前まで来たところでさくらちゃんが口を開く。

「あ、ここまででいいです。わざわざありがとうございました」

 言ってぺこりと頭を下げる。そんなことされると、俺のほうがまいってしまう。

「いや、お礼を言うのは俺のほうだよ。なんだか本当にお世話になりっぱなしで」

 頭をかいてこちらもお辞儀。まったく、感謝してもしきれない。けれど、俺の言葉にさくらちゃんはぱたぱたと両手を振った。

「そんなことないですよ。それに双七さんは手術の準備もあるのに。……あ、そうだ、あの……」

 そこでさくらちゃんは急に言いよどんでしまった。

「ん?遠慮なく言ってよ。俺にできることならなんでもするからさ」

 俺の言葉にさくらちゃんはおずおずと口を開いた。

「そうではなくてですね、そのぅ、わたし、明日、お、お見舞い、行ってもいいですか」

 お見舞い。そっか。明日は手術なのだから、当然入院することになるだろう。やっぱり一人で病院にいるのは心細いだろうし、そんなときにお見舞いに来てくれたら心強いと思う。断る理由はどこにもない。だけど……

「嬉しいんだけど、俺のことは心配いらないからさ、その分すずのこと、頼んでいいかな」

 そう答えた。

「あ……」

 さくらちゃんは夢から覚めたように、眼を瞬かせた。せっかくの申し出を断って申し訳ない。でも、すずのことを任せられるのは今のところさくらちゃんと美羽ちゃんしかいなかった。俺は続けて言った。

「神沢市に来てから、俺が外泊するなんてこと無かったし。なんだかんだ言って不安がってると思うんだ。さくらちゃんと美羽ちゃんなら、すずのこと安心して預けられるから」

「それは、もちろん!もともとそのつもりですから」

「ありがとう。さくらちゃんと美羽ちゃんがすずと仲良くしてくれて、感謝してる」

「そんな。それはわたしたちが好きでしてることですから。感謝だなんて……」

 俺の言葉にさくらちゃんは表情を曇らせ、すこし非難を滲ませた声で言った。さくらちゃんには悪いのだけれど、そうやって怒ってくれることが、俺にはなおさら嬉しかった。それだけ、すずとの関係を大切にしてくれている、ということなのだから。

「うん。それはわかってる。変なこといってごめん。でも――いや、『だから』、かな。嬉しいんだ。だから、ありがとう」

「双七さん……わかりました。すずさんのことは任せてください」

 さくらちゃんは再び笑顔に戻ると、そう言って、俺の願いを快諾してくれた。

 それから、俺が病院に行く予定の朝のうちから、さくらちゃんと美羽ちゃんがマンションに来てくれるということになり、俺たちは別れた。

 帰り際に見たさくらちゃんの表情は、なぜかすこし寂しそうだった。

 

 

 

 顔からベットに倒れこむと、柔らかなスプリングが跳ねて、小さく軋んだ。顔を枕に押し付けて、その揺れになされるままに、寝転がる。頭にはいろいろな感情が交じり合って、重たく、霞がかかったよう。なにかを考え、感じているけれど、まとまる前に弾け飛び、その間に次の感情が浮かび上がる。いつまでたっても、ひとつにまとまらなかった。

 茹だった頭は、まるで熱湯のバブルバスだ。浮かび上がる感情に、深呼吸をひとつ。ゆっくり気持ちを落ち着ける。

 今日はいろいろなことがあった。双七さんとふたりで買い物をして、エプロンをふたりにプレゼントして、すずさんが喜んでくれて、三人でお料理をして。わたしもお母さんのように、料理で誰かの役に立てていると思った。そのことが嬉しかった。嬉しかったのだ。

 でも、買い物では、最初の挨拶だって何度も練習してたのに舌を噛んじゃって、勝手に浮かれて双七さんを散々待たせて、帰りが遅くなって、すずさんにも迷惑をかけて、バカみたいな失敗をして、穴に逃げ込みたいくらい、恥ずかしい。

 双七さんは気にしてないと言っていたけれど、そういう問題ではないのだ。こういうときは、気にしていないといわれたほうが、気にしてしまう。自分の間抜けさがそれだけ感じられてしまうから。自分で自分が許せないから。むしろ文句のひとつも言われたほうが、気が楽になったかもしれない。……もちろん、双七さんは文句なんて言わないだろうけれど、絶対に。

 恥ずかしいことはそれだけじゃない。調子に乗って、お見舞いに行ってもいいですか、だなんて。でも、双七さんは、明日手術だって言うのに、自分のことじゃなく、すずさんのことを心配していて。わたしはといえば、そんなすずさんが羨ましいとか、自分のことばかり考えて。すずさんの友達ぶってる癖して、最低だ。

 なのに、そんなわたしのことを、双七さんは信頼して、すずさんを任せてくれて、それが嬉しくて、それだけでも十分すぎるはずなのに、双七さんにとって、わたしはすずさんの友達でしかないのかな、なんて、ひとりで落ち込んで。

 枕に顔を、押し付ける。どうしようもなく、身悶える。きしきしと、ベットが小さく音を立てた。

「はぁ……」

 けれどすぐに、ありがとう、という双七さんの声や、すずさんの喜ぶ姿が浮かんできて、それがたまらなく楽しくて、胸が高鳴る。あったかくなる。

 堂々巡りの中、眼を閉じる。明日は朝が早いのだ。

 眠ろう眠ろうと何度も考える。けれどやっぱり、わたしはなかなか眠ることが出来なかった。

 

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