……また、失敗してしまいました。
私、一乃谷刀子の今日一日をまとめるなら、やはりそのひと言に尽きた。
チョコレート製作に失敗しただけでなく、チョコレートを作らないと、と焦る気持ちばかり空回りして、結局双七さんにまで迷惑をかけてしまった。
本末転倒のよい見本だ。それも、これ以上ないくらいの。
思い返せば、これまで生徒会の仕事も、一乃谷神社に生まれた者としての修行も、学業も、兄様には及ばないまでも、それなりにこなしてきたつもりだ。
なのに、彼のことになると、途端にそんな自分が崩れ去ってしまう。
以前だって、例えば双七さんに、く、口付けを、されてしまっただけで、浮かれて、周りが見えなくなって、校舎を破壊してしまったり……。
そんな私を止めに来てくださった双七さんを、投げ飛ばしてしまったり……。
デートの待ち合わせをすれば、緊張して寝付けず朝寝坊して、待ち合わせの時間にも遅れて、着替えすら忘れて巫女服のまま待ち合わせ場所に行ってしまい、そんな私を待っていてくださった双七さんをまたもや投げ飛ばしてしまうという始末。
なんという体たらく。
ほかにも、数学の問題を解けないで困っていらっしゃった双七さんに、解き方を教えて差し上げようとしたところ、自分も問題が解けず四苦八苦、意地になって問題に取り組んでしまった挙句の果てに、気がついたら深夜まで双七さんをつき合わせていた、なんてこともあった。……その上、何時間もかけて導き出した私の解答はばっちり間違っていた、というおまけ付だ。
今日だって、双七さんが帰宅した時点でチョコレート作りを中断すべきだった。
チョコレートの製作を諦め、お疲れの双七さんには家でゆっくりしてもらい、夕食を作る。それが一番の選択だったはずだ。
今ならば、そう考えることが出来る。
けれど、先ほどの私には、その選択が出来なかった。
双七さんにチョコレートを作って差し上げたくて、彼に食べて欲しくて。
そう思っているうちに、冷静な判断が頭から遠ざかってしまった。
それは、彼のためを思っての行動とは到底言えない。単なる私の我侭だ。
わかっている。
わかっているのに、彼のことになるとそんな気持ちが溢れて、止まらなくなって、失敗ばかりを繰り返してしまう。
「やはり、今日は失敗も失敗、大失敗です」
まばらな街灯に照らされた薄暗い夜道を一人歩きながら、小さくひとつ、溜息をつく。
二月の静かな寒空に、白く浮かんだ溜息が、風にさらわれ消えていく。
失敗。
そう、失敗してしまった。
失敗してしまったという事実は確かに胸に残り、今も心に反省を刻んでいる。
次こそ失敗しないようにと、決意を刻んでいる。
けれど、失敗したことによる後悔や自己嫌悪は、心をいつまでも苛むことはなく、溜息と共に夜の闇に溶けて薄れていった。
それはきっと、彼が、言ってくれたから。
失敗してもいいと。
苦手なことがあっても良いと。
そんな私のことが好きなのだと、言ってくれたから。
だからこそ私は、不安に苛まれず、前を向くことが出来る。
だからこそ私は、目を覚ますことが出来た。
私は肝心な時にうっかりしてしまって、双七さんにばかり迷惑をかけてしまう。
過去に私が周りからどのように捉えられていたとしても、実際の私は欠点ばかりで。
けれど、そんな私を双七さんは見ていてくれる。好きでいてくれる。
だから、私は私らしく。出来ることを精一杯行う。
それが一番なのではないか。
失敗ばかりだった今日一日で私の得たものが、その答えだった。
藤原さんの事件の時に、答えは出ていたはずなのに。
彼は私のことを、欠点だらけの女と知った上で受けれいてくれたと、解かっていた筈なのに。
私は本当に彼のことになると失敗ばかりで。彼に何度も迷惑をかけてしまって。
それはきっと私の欠点で、迷惑をかけないよう注意しなければいけないと思う。
けれども時には、どうしても出来ないこともあって。
それでも、それは、決して悪いことではないと思うから。
彼がそう教えてくれたから。
だから、せめて、伝えよう。
日々の感謝と、胸に溢れるこの想いを、詰め込めるだけ詰め込んで。
私らしく、改めて伝えよう。
私の如月双七さんへの気持ちを。
一乃谷神社の境内へと伸びる階段の目の前、街路灯の下で立ち止まる。
薄暗い夜道を照らす穏やか光が、周囲に満ちている。
これまでの悩みが、心の中に立ち込めていた暗雲が、風にさらわれた溜息と共に消え去り、一気に明りに包まれた感覚。
かすかに周りの空気まで暖かになったかのような錯覚。
ふっと大きく深呼吸。
空気とやる気が胸に満ちてくる。
はやる気持ちを心に灯して、私は境内へと続く階段を駆け足で上り始めた。
翌朝は、2月の神沢にしては珍しく雪がなりを潜めていた。
東の空から射し込む朝日が、身の引き締まるような空気を柔らかく包みこんでいる。
冬らしい凛とした青空を仰ぎつつ、ゆっくりと登校していると、
「あ、いたいた。刀子ー」
後ろから呼びかけられた。振り返るとそこには駆け寄ってくるすずさんの姿があった。
「すずさん、おはようございます」
寝不足ではあるけれど、スッキリした心持で挨拶をする。
「おはよっ。今日も寒いわねー。雪が降ってない分だけ、まだマシだけど。……ところで、刀子」
周囲を見回しつつ、すずさんが続ける。
「昨日連絡もらったことなんだけど、本当にもういいの、練習?」
昨日、すずさんと美羽ちゃんのおふたりには、チョコレート作りの練習を辞退させていただくと連絡しておいたのだ。
すずさんの言葉に、私は小さく、しかし確かな意思を込めて、肯いた。
「はい、私は私らしく、そう決めましたから」
『私は私らしく』
昨夜は、この気持ちを伝える方法を考え通しで、結局一睡も出来なかった。
にも関わらず、私の心は晴れ晴れとしていた。
一人で悩んでいた先日までの朝とは、大違いだ。
すずさんが一歩前進、私の瞳を覗き込んで来る。
一瞬の沈黙。
そして、表情を緩めて言った。
「……うん。その様子だと、本当に大丈夫みたいね」
「はい」
すずさんの言葉に、私はもう一度肯いた。
ただ、唯一憂いがあるとすれば、生徒会の皆さんに迷惑をかけてしまったことだ。中でもすずさんと美羽ちゃんには本当にお世話になってしまった。
「申し訳ございません。折角チョコレート作りを教えて下さっていたのに」
私の言葉に、すずさんが答える。
「そんなの、刀子が納得してるならそれでかまわないわよ。美羽もそう言うと思うし。わたしたちのことは気にしなくていいから。でも、代わりといってはなんだけど――」
すずさんは軽く言葉を切ると、笑顔を浮かべて続けて言った。
「――がんばってね!応援してるから。双七くんの姉としてじゃなく、刀子の友達として、ね」
「すずさん……ありがとうございます」
お礼と共に頭を下げる。
ちょうど顔を上げたその時、こちらに歩いてくる人影に気がついた。
すずさんも同じく気がついたようで、手招きする。
「あー、双七くん、こっちこっち」
歩く速度を速めて、程なく双七さんがやって来た。
「すず、どうしたんだよ、急に走り出して……。あ、刀子さん、おはよう」
「おはようございます、双七さん」
互いに挨拶を交わす。
「んー……刀子さん、変なこと聞くようだけど、何かあった?」
「えっ?」
「いや、なんだか随分疲れてるみたいに見えたから」
いつも通り振舞ったつもりだったが、見破られてしまった。
「それは、その……」
思わず口を濁してしまう。けれど、心配してくださっているのに誤魔化すのはいけない気がする。せめて話せる部分だけでも、と口を開いた。
「……そうですね。疲労が溜まっていない、といえば嘘になります。ですが、もう問題は大方解決しましたし、大丈夫ですから」
奥歯にものが挟まったかのような説明になってしまった。
やはりそのような言葉では納得していただけなかったようで、双七さんが不思議そうな顔をする。
「えっと、差し支えなかったらでいいんだけど、問題って?」
今すべてを話してしまえれば、双七さんに心配をかけることもない。けれど……。
「それは……もう少しだけ、お待ちいただけないでしょうか。時が来たら、ちゃんとお話しますので」
不安な気持ちを拭いきれない様子ではあった。けれど双七さんは、
「……うん。わかった」
と、ただそう言って肯いてくれた。
彼に迷惑をかけるだけでなく、心配までさせてしまっている。そんな自分が情けなくて、口を開く。
「申し訳ありません。双七さんのお気遣いはとても嬉しいのです。本当に。ですが、心配なさらないでください。問題も大したことではありませんし、それに今は、この疲れも心地よいくらいですから」
本心からそう告げる。
「心地よい、か」
「はい」
私の答えに双七さんは一瞬考え込んだかと思うと、
「わかった。刀子さんの言葉を信じて待つことにするよ。ただ、俺にできることがあったらなんでもするから、その時は相談して欲しい」
そう言って、今度こそ笑顔を浮かべてくれた。
双七さんとすずさんと私、三人で登校する道すがら。
「ところで私のことよりも、双七さんこそお疲れではありませんか?昨日はご迷惑をかけてしまいましたし」
「俺?平気、平気。あれくらいでへばってたら、先生にどやされちゃうだろうし」
双七さんは、そういって楽しそうに笑う。
「まぁ、ふふっ。でも、そうかもしれませんね」
双七さんの言う”先生”を思い出し、私も口をほころばせた。
”先生”すなわち――九鬼耀鋼。
双七さんの師にして、私にとっての恩人でもある人だ。
彼の助けがなければ、今こうして双七さんと一緒に歩くことは出来なかったかもしれないのだから。
師弟の間に、様々な事情が、都合が、運命が、割り込んだ。
――それでも彼は、双七さんから聞かされていた”先生”の話の印象と違わない人物だった。
彼と多くの時間を共に過ごしたわけではない。
彼のことを深く知っているわけでもない。
けれど、「あの馬鹿弟子が」と呟きながら共に逢難に立ち向かってくれたその恩人は、表面上は厳しく弟子に接していながらも、根底に弟子への愛情を宿している、そんな人のように思えた。
そして今、双七さんはこうして先生のことを、屈託の無い笑顔で語ることができる。
そのことが、嬉しかった。
私たちの会話を聞いていたすずさんが、口を開いた。
「そーそー、双七くんは頑丈さが取り得なんだから。あれくらいへーきのへーざ。刀子も気にしない気にしない」
と双七さんの腰をぺしぺし叩く。
叩かれた双七さんはといえば、
「気にしない気にしない、って、そりゃ大丈夫は大丈夫なんだけどさ、事態の元凶がそこまで開き直るのもどうかと思うぞ。お前はちょっとは気にしなさい」
と呆れ顔だった。
「むぅ、なんでわたしばっかり」
すずさんが頬を膨らませる。
「そもそも言霊を使ったのはお前だろ」
おふたりの会話に口を挟む。
「いえ、昨日の事の責任は私にあります。すずさんが言霊を使ったのも私のためですし、本当になんとお詫びして良いやら……」
「いや、本当に気にしてないから。あ、それより、昨日の帰り道は何も無かった?」
「え?はい。何事も。一乃谷神社は双七さんとすずさんのマンションからそう離れてもおりませんので」
「そっか。よかった。本当は送って行きたかったんだけど……」
と鼻の頭を掻く双七さん。
昨日のことを思い出しているようだ。
昨日の食事の後、双七さんは、私がいとまを申し出た途端、何も無かったような顔をして
『それじゃ、送っていくよ』
なんて言い出したのだ。
散々公園を走らせてしまって、多大な迷惑をかけたというのにだ。
まったく、お人よしにも程がある。……そこが双七さんの良いところでもあるのですが。
とはいえ、もちろん「お気持ちだけで十分ですから今日はゆっくり休んでください」と、見送りは遠慮しておいた。
……遠慮しておいたのである。
……遠慮しておいたのだ。
……遠慮しておいたのだけれど。
実のところを言えば。
本音を言えば。
「それは私としても……送って欲しかった気もしないでもない、ですが」
そう。こっそり本音を言えば、送って欲しかった。
帰り道に危険なことなど何もないと、わかっていたとしても。
仮に何かあったとしても、自身なら大抵のことには対応できる、と自負があったとしても。
……だって、もし仮に送ってもらっていたのなら、ふたりきりになれたのだから。
そうなれば、色々とお話をしながら帰ることも出来たのだから。
そうなれば、色々とお話以外にも、出来たかもしれないのだから。
そう、例えば……。
例えば、だ。
例えば、雪のちらつく寒空の下。歩幅を合わせて歩む二人。
『刀子さん、寒くない?』
笑顔で気遣ってくれる双七さん。
私は、
『いえ、双七さんと一緒ですから……』
な、なんて、そんなふうに答えちゃったり。
さ、さらには。
さらには!
『ですけど、その……もし、もし双七さんさえよろしければ、もう少し、もう少しだけ……ひ、ひっついても良いですか?』
なんて!あ、甘えてみちゃったりして!
『……喜んで』
差し出される腕と彼の言葉。
その答えと温もりに寄り添う私。
わざとゆっくりと歩みを進めて。
神社の前まで来ても、すぐには離れられない二人は、一時の別れを惜しむように互いの唇を重ね、ついばみ、舌を絡ませ熱い口付けを――。
「な、なんてことに……。い、いやんいやんいやん!私ったらなんてはしたないっ!」
ふるふると首を振る。
火照った頬に両手を当てる。ひんやりした手が気持ちいい。
それまでの澄んだ心地が嘘のよう。あちちあちとラテンなリズムな、そんな感じ。
「だ、駄目ですよね、そんな、往来で……で、でも、夜ですし、周りは誰もいませんし、少しだけでしたら……って、そ、そうではなくて!」
猛烈に手を振る。
体の熱を冷ますようにぶんぶんぶん、と。
「あ、あのー……、刀子、さん?」
「そ、それは以前、一度は人前で、そのせ、接吻してしまったわけですけど、あれは藤原さんのことがあったから仕方が無かったわけで……」
ぶんぶんぶん、と。
「刀子さん、刀子さんってば」
「あ、い、いえ、で、ですが、接吻するのが嫌だというわけではなくてですね!全然嫌ではない、というよりもむしろ、し、して欲しい気もしないでもない……というか、是非ともしていただきたいところではあるのですが。のですが!」
ぶんぶんぶん、と。
「と、刀子さん、取りあえず声っ、声のボリューム落として!」
「ですがやはり、ば、場所というものがですね!いくら人目がないといいましても、壁に耳あり障子に目ありと申しますし、それに倫理的にどうかという気もしますし!」
ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん、と。
「刀子さん!障子に目どころか、周り人だらけですってば!」
「と、とはいえ、折角見送ってくださったのにそのまま別れるのはやはり少々忍びないと申しますか、寂しいと申しますか……遺憾であるといいますか、我慢できないといいますか!」
ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん、と。
「ち、ちょっと、戻ってきてー、刀子さーん!」
「となると、その、お、落としどころが必要なわけでして、で、ですから、例えば、そう――ふ、ふふふ触れるだけ!く、くく、唇と唇が触れるだけ!それだけなら、その、挨拶ちっくに欧米化でぎりぎりセーフでさわやかさんなのではないでしょうかなどと愚考いたす次第でして!」
ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶごしゃぁ!
「セーフじゃない!セーフじゃないし、全然落としどころにもなってなっ、ふぐぁ!」
「ですからっ!いざっ尋常に――――ふぐぁ?」
何かが潰れたかのような妙な物音と声に、現実へと引き戻される。
「………………」
改めてあたりを見渡せば、そこは登校真っ最中の朝一番。
「………………はっ!危うく往来に立ったまま別世界に旅立つところでした!」
ようやく事態を把握する、と同時に顔面に沸騰した血液が流れ込んで来たかのような錯覚に襲われる。
うう、登校中になんて事を。
恋は盲目という言葉の意味が、最近やっと理解できたような気がします。
徹夜明け特有の妙な高揚状態にあったとはいえ、これでは刑二郎くんのバカップルという言い草にも反論でいません。
しょんぼりとしながらも、再びあたりに目を配ると、目の前には散々振り回された挙句何かにぶつかり、大きくへこんだ鞄が転がっていて、その先には、鞄の直撃を顔面で受けたらしく、鼻を押さえて蹲る双七さんがいた。
「も、ももももも、申し訳ありません!」
俺が鞄の直撃を受けてから数日。
2月も中盤に差し掛かり、青く澄んだ快晴の下、微かに春の気配が感じられた。
気の早い梅がその蕾をうっすらと開き始め、大気にも冬特有の冷たさの中にかすかな温かみが漂っている。
けれど、今日に限っては、俺たち男子にとってはそんな気配どころではない一日なわけで。
なんだかんだで、2月14日である。
「お疲れまでーす、ってうわ、なんだこれ?」
生徒会室のドアを開けた次の瞬間、俺たちの目に入ってきたのは大量の箱の山だった。
包装紙で包まれた色とりどりの箱が机の上に積み重ねられて、まさに富士山のようにそびえている。
「……おー、双七、すず嬢、おつかれー」
机に両肘をついて、そんな箱の山をつまらなそうに眺めていた上杉先輩が言った。
「上杉先輩、一体なんなんですか、この山?」
「なにって、お前、バレンタインデーのチョコレートだよ、チョコレート。ちなみに全部、そこに寝てるそいつ宛だ」
上杉先輩の視線の先には、白い肌にところどころ鮮血を散らし、白目を剥いた死体――すなわち愛野狩人の姿があった。
「か、狩人!」
「いつにもまして酷いわね。なにがあったの?刑二郎」
「俺も詳しいことはわかんねーんだけどよ。さっき狩人をよく取り巻いてる女の子たちが連れ来たんだよ。教室前の廊下で、そこに置いてあるチョコレートの山に押しつぶされてたらしい。『狩人くんがめりっさ繊細だってことを解かってない子が居て困る』とか、えらく怒ってたな」
そういえば狩人、バレンタインは憂鬱だって言ってたけど、こういうことか。うらやましいような、ちっともうらやましくないような。
「まったく、何でこいつばっかり……」
呆れたような、諦めたような声で呻く上杉先輩。
その上杉先輩のつんつん頭が、細長い箱で叩かれた。
「いてっ、
上杉先輩が振り向いた先にいたのは、七海さんだった。
「いつまでも馬鹿言ってんじゃないの、ったく、はい、これ。あげるわよ。言っとくけど、義理よ、義理。義理も義理の大義理だからね」
言いつつ、チョコレートが入っているらしき箱でさらに上杉先輩を叩く七海さん。
「わかった、わかったから。叩くなよ」
「叩きたくもなるわよ。……大体、あんたは一個とびっきりの貰えるんだから、それで満足しなきゃ駄目でしょ。ほら」
言って七海さんが一歩退いた。そこには生徒会室入り口で、上杉先輩を眺めてもじもじと立っている美羽ちゃんがいた。
手に持っているのはいつもの人形ではなく、綺麗にラッピングされた四角い箱で。
途端に立ち上がる上杉先輩。
「あ、あの、先輩……」
「ん、あ、ああ……」
美羽ちゃんの言葉に、上杉先輩が少し顔を赤らめて頷く。
その様子を眺めている七海さんに、何時から居たのか、トーニャが話しかけた。
「本当に、あなたも大変ね、伊緒」
その言葉に七海さんは、上杉先輩や美羽ちゃんには聞こえないであろう、小さな声で応じた。
「……まあ、ね」
隣のすずはすずで、美羽ちゃんの様子をじっと見守っていた。
そんな中、美羽ちゃんの後ろから、そろそろと顔を出す人影があった。
さくらちゃんだ。
「お、おつかれさまでーす……」
色々と繊細な場面だからか、少し緊張した面持ちで小さく挨拶をしている。
「おつかれさま、さくらちゃん」
と、挨拶を返した。
「双七さん!?は、はい!おつかれさまです!」
なぜかびくっとはじかれたように背筋を伸ばすさくらちゃん。
その手には学生鞄の他に、紙袋が握られていた。
トーニャがその袋に視線を向ける。
「あら、さくら、それひょっとして……」
「えっ、あ、は、はい!これはその、日ごろお世話になっているお礼にと思って、み、皆さんに!あの、深い意味はないんですけど、その……」
「チョコレートなわけね」
「は、はい。あの、い、沢山あるんで、み、皆さんで、召し上がっていただければなーと思いまして」
トーニャとさくらちゃんの会話を聞いて、すずが言った。
「わたし達も食べていいの?」
「それはもう、どうぞどうぞ。どんどん食べちゃってください」
机の上に紙袋を置き、箱を取り出す。
箱の中には、小さな丸いチョコレートがいくつも並んでいた。真ん中にグミやアーモンドがトッピングされていたり、クッキーのような物がまぶしてあったりと、多種多様だ。
「手が込んでるわね。これ、もしかして姉川さんの手作り?」
七海さんが感心したように尋ねた。
「はい。といっても、そんなに大したものではないんですけど」
さくらちゃんは答えながらぱたぱたと手を振る。
「そんなことないわよ。見た目だけじゃなく、味も凄くおいしいし」
そんなことを言いながら、すずはひょいぱくとチョコレートを次々口にほおっていく。
「おいしいのは解かったから、お前は少し遠慮しなさい」
すずに注意する俺に、さくらちゃんがおずおずと声をかけてきた。
「あの、よろしければ、そ、双七さんもどうぞ」
その手にはアーモンドのトッピングされたチョコレートがある。
「俺ももらっていいの?」
「もちろんです!む、むしろ、もらってもらわないと困るというか……」
「困る?」
「え?ああ!えー、あー、えっと、ええっと、ですから、その……の、残っちゃったらもったいないですし!」
「ああ、そりゃそうか。じゃあ遠慮なく」
さくらちゃんから受け取ったチョコレートを口に含む。甘い味の中に、微かな苦味とアーモンドの香ばしさが加わって、口内に広がった。
「うん、おいしいよ、さくらちゃん」
「ほ、本当ですか?」
「もちろん。甘さと苦さの加減が絶妙だし、舌の上に乗せると溶けていくし、お世辞抜きに本当においしい。ありがとう、さくらちゃん」
「は、はい!」
思ったままを伝えただけなんだけど、さくらちゃんはとても嬉しそうだった。
そんなさくらちゃんを眺めながら、トーニャと七海さんが、
「こちらもこちらで大変そうね」
「本当に、ね」
と、よくわからないことを言い合っていた。
前へ戻る 次へ進む(続き製作中)