姉川さくらルート1 小さな想い

 『あやかしびと』のSS「姉川さくらルート」妄想追加ルートです。

 二次創作とはいえ、私ごときが勝手にさくらルートと名のつくものを作るなんて、やっていいのかなと悩みましたが、あやかしびとドラマCD『幻燈夏(げんとうか)』のブックレットでライターの東出祐一郎氏が、これであやかしびとについて残っている作業はない、と述べているのを見て、ならせめて二次創作でもさくらルートを、と書き始めました。

 

 共通ルートで会長と刀子先輩の秘密が明らかになってその次の日の選択肢で、「さくら・美羽と一緒に帰る」を選択後、さくらと三人で料理を作り食べ、さくらを送るシーン、その途中から分岐、という設定で書いています。

 

 もう少し具体的には、さくらと一緒にバイトを探す約束をして、双七が「お礼に何か出来ることがあれば、遠慮なく言ってくれ」と言った後、さくらが迷い「今言いますからもうちょっと待ってて……」と返事した直後からです。

 『あやかしびと』及び『あやかしびと―幻妖異聞録―』のネタばれを含みます。ご注意ください。

 

 

 「あのさ、また明日にでも聞かせてくれるといいと思うけど」

 先ほどから悩みっぱなしだったさくらちゃんに、やんわりといった。

 俺の「お礼に何か出来ることがあれば、遠慮なく言ってくれ」という提案に、

「わたし、わがままは言いませんよ」

 と答えつつ、彼女はずっと悩み続けていたのだ。もう彼女の家のすぐ側、いつも下校時に分かれる信号の前まで来ている。お礼がしたいというのに、それが原因でさくらちゃんが家に帰るのが遅くなっては元もこもない。

 それに、俺としてもすずのことが心配だった。俺たちはドミニオンに追われる身なのだから。

 だが彼女は、

「い、いえっ。今、言います!今言いますからもうちょっと待っててっ……」

 と、慌てて答えた。彼女のその声にはどこか真剣味が感じられて、俺はつい

「あ、うん。わかった」

 そう肯いてしまった。さくらちゃんにはいつも料理を作ってもらったり、生徒会でもいろいろ仕事を教えてもらったり、お世話になっている。今日もすずの字の書き取りに付き合ってもらったばかりだ。これで「早く部屋に帰りたい」なんて言ったら罰が当たる。焦る気持ちを抑えつつ、待つことにした。

 待つことさらに数分、俯き悩んでいたさくらちゃんは、意を決したように顔を上げると、そのきっとした顔とは正反対の小さな声で、

「……あの、双七さんに、付き合って欲しいいんですけど」

 そんなことを言った。

「え?……えええぇええぇ!!」

 つ、付き合うとは、つまり、そういうことなのだろうか?今の今までまったく縁のなかった言葉に、頭が真っ白になる。

「だ、駄目ですか?」

 見るからに落ち込むさくらちゃん。

「いや、駄目じゃなくて、なんというか、こういうことはもっと時間をかけてというか、お互いを知ってからと言うか、俺そんなこと初めてでというか」

 俺の言葉に首をかしげていたさくらちゃんが、今度は見る見るうちに赤くなっていく。

「え?……ああぁ!いえ、その、ち、違います!違うんです!その、今度の日曜日のバイト探しの後、わたしの買い物に付き合ってください、ってことなんですけど!」

 真っ赤になって、さくらちゃんは慌てて訂正した。ぶんぶんと手を振る。そのたびにぷるんぷるんと胸が震える。なんというか、ワンテンポ遅れて揺れるそれは、ゆっくりと振られる犬の尻尾のようで……そんなばかげたことを考えているうちに、見つめては失礼だと考え付き、出来るだけ自然に目をそらした。

「あ、ああ、なるほど。そっか。そういう意味か。てっきり……あ、いや、なんでもない」

 我ながらベタベタな展開だった。けど漫画で見るのと実際に体験するのとでは大違い、気恥ずかしくて、気まずくて、なんと言っていいのかわからなくて、ふたりして向かい合ったまま、下を向き合ってしまった。ちょっとした沈黙の後、さくらちゃんが小さく言った。

「その、駄目、ですか?」

 沈黙を否定と受け取られてしまったのかもしれない。俺は努めて平静を取り戻し、答えた。

「いや、そんなことないよ。荷物持ちだよね。うん、さくらちゃんにはいつもお世話になってるし、それくらいならいくらでも引き受けるよ」

「あ、……はい。ありがとうございます」

 俺の言葉にさくらちゃんはなぜか少し気落ちしたように肯いた。

 日曜日にさくらちゃんに町を案内してもらって、バイトを探し、それからさくらちゃんの買い物に付き合う。そう約束をして、俺たちは別れた。

「それじゃあ、双七さん、約束ですよ」

 別れ際にそう念を押すさくらちゃんは、いつもの明るいさくらちゃんに戻っていた。

 

 

 

「はぁ」

 湯船に浸かって息を吐く。

 温かな湯船に浸かったことによるほっとした一息ではなく、溜息。

 安堵のものか、不安の表れか、自分でも判らなかった。

 如月双七は、買い物に付き合って欲しいという願いを断らなかった。もちろん、そのこと自体は、うれしかった。だけれどそれは、日ごろお世話になっている(といってもわたしはお世話というような大層なことをしているつもりはないのだけれど)後輩のために荷物持ちをかって出た、というだけのものだ。

 わたしが知らず知らず、心のどこかで考えていたこととは、違う。そんな失望が、双七さんの言葉を聴いた瞬間、胸から溢れてしまった。

 彼の好意が、自分の望みに適わないからといって勝手に気落ちして。わたしは本当に身勝手だ。

 いや、それ以前に、付き合ってください、だなんて誤解されそうな言い回しをして、私はもしかしたら、と期待していたのではないか?

 孤島から神沢市に移ってきて、初めての学園生活の双七さん。未体験の出来事の連続で不安と期待に振り回されている彼が、その雰囲気に流されて、なにかの気の迷いで、うんと肯いてくれることを、期待していたのではないか。

 なんて浅ましい女。

 とめどなく溢れる自己嫌悪。

 ぽたり、天井から水滴が落ちて、肩に当たった。

「はぁ……」

 また溜息が漏れた。もう今日は考えないようにしよう。忘れてしまおう。そう思っても、勝手に頭が考えてしまう。ぐるぐると出口なく回り続ける思考の迷路に迷い込んでしまったよう。

 本当に、付き合って欲しいと頼んでいたら、どういう答えが返ってきたかな。やっぱり断られたかな。それとも……。

 淡い希望、いや願望を、全力で否定する。わたしなんかが、双七さんと釣り合うはずがないのだ。双七さんは、両親にも裏切られて、十年以上も孤島の病院に閉じ込められて、それなのにまっすぐで、優しくて、でも、それだけじゃない。

 会長や刀子先輩のこともショックなしに受け入れることが出来て。すずさんのことも、妖怪だとか関係なく、本当に大切な存在だと考えてて。そんなことを受け止める強さを持ってる。わたしにない、強さと優しさを持っている。

  だから、そんな双七さんだから、わたしは……。

 それに比べてわたしは、会長のことも散々悩んで、異性として考えない、という方法でしか受け入れることが出来なくて。その癖に、双七さんにアドバイスしようとしたり、今日だって、わたしの胸をからかわれた経験なんて、双七さんの辛い経験と比べると、とてつもなくちっぽけな悩みに過ぎないのに、あんなことを言って、自分も辛い経験があるのだと、同じ場所にいるのだと、思い込もうとしたのだ、逃げ込もうとしたのだ。

 過去を悲しみわたしたちに憧憬を見る彼の姿が、悲しかったから。わたしが悲しかったから。彼の隣に、逃げ込もうとしたのだ。同じ位置に、居ようとしたのだ。なんて、いやらしい。

 もちろん、当時のわたしにとって、胸のことでからかわれたり、影でいろいろ言われるのは、大きな問題だった。死にたいと思ったこともあった。だけど、わたしには両親がいて、おじいちゃんもおばあちゃんもいたのだ。 双七さんは、そんな悩みを抱えることすら許されないような孤島の病院で、両親からも捨てられて、生活していた。

 そんな彼に、わたしなんかが、辛い過去に囚われず前向きに生きていこう、なんて言っていいはずがないではないか。そんな弱いわたしなんかが、付き合って欲しいなんていえるはずがないではないか。

 私は彼の後輩。

 これまで彼が求めてきた生活、これまで彼が不当に奪われてきていた生活、取り戻すべきその生活のなかの要素のひとつ。朝、学校であったら挨拶をして、生徒会で一緒に活動をして、お料理を手伝ったりして、ちょっとしたことで笑いあい、悩んでいることがあったら相談にのる、そんな存在となれさえすれば、いいではないか。

 けれど、それすらも、はたして望んでいいことなのだろうか?彼のとなりには、すでに彼女がいるのに。

 如月すず。

 十年間彼に寄り添い、共に支えあってきたという彼女。

 双七さんは彼女のことをどう思っているのだろう。恋人、という風には見えない。そして、それはすずさんのほうも。

 異性という枠を超えた、大切な存在。あのふたりの関係は、家族というのが正しいのではないか。

「なら、わたしは……?」

 幾度も繰り返したその言葉を、再度否定する。わたしが、わたしのような女が、彼の恋人だなんて。

 なにを考えても、めぐりめぐって同じ疑問と、同じ答えに辿り着く。バカみたいだ。

「はぁ……」

 もう何度目かすら判らない溜息を、再びついた。拍子に、湯船から半分頭を出している胸に目がいく。双七さんの腕が当たった胸。太くて、硬くて、でも暖かな腕があたった……。またもや自己嫌悪が胸を突く。

 そうだ。以前はあれほど悩んでいたのに、さっき双七さんがこの胸にドギマギする姿を見て、この胸でよかったかも、などとすら思ってしまったのだ。この胸をだしにして、辛い過去をもっているのは双七さんだけではありません、なんて言ったくせに!

 わたしはどこまで嫌な女なんだろう。

「……ごめんなさい、双七さん」

 こうやって謝るのも、自分のため。

 自分が許された気になりたいから。それはただの逃避なのかもしれない。

 でも、あやまる。明日、後輩として、生徒会の仲間として彼に笑顔で会えるように。そうして、彼の失われた時を少しでも埋めることが出来るように。

 手でお湯をすくう。指の隙間からお湯がぽたぽたと零れていく。ばしゃと、顔にお湯を叩きつけて、わたしはもう一度彼に謝った。

「ごめんなさい……双七さん」

 

 

 

「あ、双七さん、日曜日の件なんですけど……」

 放課後、生徒会活動の始まる少し前の手持ち無沙汰な時間、すでに集まった生徒会メンバーにお茶を配りながら、さくらちゃんが言った。

 日曜日。さくらちゃんに町を案内してもらって、バイトを探して、さくらちゃんの買い物の荷物持ちをする約束をしてたっけ。

 でも、今朝、七海さんに爆弾の除去手術をするから日曜に七海病院へ来るようにといわれたばかりだ。

 申し訳ないし、荷物持ちぐらいならいくらでも手伝うといった手前、かなり情けないけど、爆弾の除去には替えられない。七海さんの好意を無にするわけにはいかないし、それに、もしもこの爆弾が爆発して、すずや生徒会のみんなに迷惑がかかったらそれこそ後悔しきれないのだから。

「ごめん、さくらちゃん。それがさ――」

 俺は事情を説明した。

「手術――ですか。……残念ですけど、それなら仕方ないですね」

 さくらちゃんは落ち込みながらも、納得してくれる。俺のためにここまでしてくれているというのに、本当に申し訳ない。だから

「でさ、さくらちゃんの買い物だけでも土曜日に付き合いたいんだけど、どうかな」

「えっ!?」

 心底びっくりしたような声を上げるさくらちゃん。

「土曜日なら買い物の時間ぐらいはあると思ったんだけど……駄目かな。他に用があるのなら……」

 やはり急だし、迷惑だったかもしれない。そう思って言いかけた言葉を、さくらちゃんにさえぎられた。

「い、いえ!大丈夫!大丈夫ですから!……でも、双七さんこそ、本当に良いんですか?せっかくの土曜日なのに」

「うん。俺も大丈夫。ちょうどすずも……いや、なんでもない」

「すずさんがどうかしたんですか?」

 さくらちゃんの質問に答える前に、トーニャが横から口を出してきた。

「ああ。それはね、さくら。朝方、教室に八咫鴉さんの使いが来たのよ、すずさんのお母さんのことで話がしたいって。それで土曜日、すずさんが八咫鴉さんの屋敷に行くことになって、で、独占欲丸出しの如月くんが駄々こねた挙句、拗ねてるってわけ」

「だ、駄々なんてこねてないし拗ねてもない!……お、俺はただ、すずのことが心配で」

 不当な言いがかりだと抗議の意を表してみる。トーニャは涼しい顔で、

「八咫鴉さんはすずさんに敵意は持っていないようでしたが?」

「あいつは別の意味で危険なんだ!あの野郎、目を離すとすずになにをするか……。きっと『やあ、すずちゃん、これまで大変だったね、でももう安心、これからは私が一生面倒見てあげるからね、うん、そうだ、それがいい、やはり君は如月双七と一緒にいるより私のところに居たほうがいいに決まっている、さあ決まりだ、決まったならさっそく愛の契りをむちゅー』なんてわけのわからないこと言い出した挙句、本性むき出しに襲い掛かるに違いないんだ!」

 なにやらヒートアップして変なことを口走ってしまった。

「双七さん、さすがにそれはないと思うんですけど……」

「妄想もそこまでいくと立派ですね」

 ふたりにおもいっきり否定される。確かに客観的に見ると、そうなのかもしれない。けれど、あの野郎の顔を思い出すと、どうしてもその言葉に納得する気になれなくなる。

「で、でもすずが……」

 なおも反論を試みようとしたところで

「ん?双七くん、わたしがどうかした?」

 ノートを広げて文字の書き取りの練習をしていたすずが、こちらへと歩いて来た。

「う、あ、いや、なんでも……」

 しどろもどろにどもってしまう。そんな隙を見つけてか、トーニャがにやりと笑った。

「うるさい小姑が居ないうちにデートをしようと、如月くんがさくらを誘ってたんですよ」

 その言葉にさくらちゃんが大声を上げた。

「デ、デデデ、デート!?」

 一方ですずも

「小姑!?白髪頭のあんたに言われたくは……って、で、でぇと?双七くん、でぇとするの!?」

 と、トーニャの言葉にもたげかけた怒りを、そのまま俺にぶつけてくる。

「トーニャ、誤解を招くような言い方しないでくれ!」

 と、最初にトーニャに抗議し、次にすずの方を向いて

「さくらちゃんの買い物の荷物持ちをするだけ。デートなんかじゃないって」

 と諭し、最後に

「だよね、さくらちゃん」

 と、同意を求めてさくらちゃんのほうを向くとそこには

「あう」

 と、下をむくさくらちゃんが。あれ?

 トーニャは薄ら笑いを浮かべたまま、やれやれと言うように片手の掌でさくらちゃんを示しつつ

「ほら、如月くんがむきになって否定するからさくらが傷ついてるじゃありませんか」

「へっ?ああ、いや、ごめん!さくらちゃんとデートがしたくないとか、そういうことじゃなくて、むしろしたいというか、さくらちゃんは十分可愛いというか……」

 それはまったくの本心だ。さくらちゃんは本人も気にしている胸のことを除いても、顔だってかわいいし、なによりやさしくて、ほんわかした雰囲気があって、周りのみんなを和ませてくれて、側に居るだけで嬉しくなるような女の子だ。魅力的じゃないはずがない。だけど、

「そ、双七さん……」

 さくらちゃんはさらに真っ赤になってしまった。そうだ、本当の気持ちだからといって、他人が軽々しく口に出すことじゃなかった。

 だって、さっきのはまるで、好きだと告白しているかのようじゃないか。

 そう思い当たって俺まで顔が熱くなる。好き?俺が、さくらちゃんを?そんな自分の考えに、自分で驚いた。今までそんなこと考えたこともなかった。確かにさくらちゃんはかわいいし好ましくも思っているけど、それはあくまで生徒会の仲間としてであって、好きとかそういう意味ではなくて、でも、さっきの言葉は嘘偽りもない気持ちなわけで。 そんな風に自分の気持ちに整理がつかずに悩んでいたところを、すずに断ち切られた。

「ふぅん、そう。つまり、でぇとしたいの。それが双七くんの本心なわけね」

 あ、まず。

 そう思ったと時にはすでに遅いわけで。

「がぶり」

 俺の腕に思い切り犬歯がつきたてられた。

「痛えええぇ!」

 結局、土曜日についてはうやむやになったまま、会長や上杉先輩が現れ、生徒会の活動となった。

 帰り際、薬品臭が鼻にきついから病院にはついていかないというすずの面倒を、さくらちゃんと美羽ちゃんが見てくれる、ということで話が決まった時も、土曜日の話は出てこなかった。

 そしてそのまま下校。夕日の落ちた薄暗い坂道をだらだらと降りる。

 このまま、土曜日の買い物はなかったことになるのかもしれない。そうだとしたらちょっと残念だな、そう思いながら、実際にはちょっとどころではなく、ずしりと落ち込んだ気分になってくる。

 すずもいないし、土曜日、どうしよう。

 すずとふたりでマンションに向かいながら、頭の中で溜息をついたその時、最近トーニャに付き合ってもらって購入した携帯電話が着信を知らせた。

『土曜日の午後2時に、映画館の前で待ってていいですか?』

 そのメールは、さくらちゃんからだった。

 

 

 

 生徒会活動も終って帰り道、傾いた夕日が周囲を茜色に染めていた。部活動の帰りの生徒に混じって家路を辿る。

「すずさんの家に泊まること、認めてくれて良かったね、美羽ちゃん」

 隣を歩いていた美羽ちゃんがこくりと肯く。その顔は温かな微笑みに包まれていた。

 これまですずさんと付き合ってきて、彼女のことが、少しだけだれど、わかってきた気がする。

 彼女は人間にお母さんを殺されて、人間を憎んでいて、けれど、それは人間みんなを憎んでいるわけじゃない。双七さんにだけは、無邪気な笑顔を向けたり、心配したり、お姉さんぶったり、怒ったり、憎悪以外の様々な気持ちを示している。

 それは偽りない、すずさんの本当の気持ちなのだと思う。だから、わたしたちはすずさんと仲良くなれると、仲良くなりたいと思うことができた。その笑顔を、わたしたちにも、双七さん以外の人たちにも向けるようになって欲しいと、思った。

 最初は同情もあったかもしれない。

 けれど今は違う。

 あの少し素直じゃない女の子と、もっと親しくなりたい、友達にないたい、そう思う。

 そして、すずさんも少しづつだけれど、わたしたちに気を許し始めてきてくれている。そう感じていたのが、わたしたちの勝手な誤解ではなかったと、錯覚ではなかったと、今日わかった。

 だから、うれしい。

 なのに、わたしは、美羽ちゃんのように笑うことができない。うれしいのに、笑うことができない。

「さくら、土曜日のこと、約束しなくてよかったのです?」

 美羽ちゃんが核心を突いた。どきりとする胸を気持ちで押さえつけ、心をおちつかせて答える。

「うん。手術前で大変な時に、双七さんに迷惑かけたくないし」

「それはちがうのです、さくら。双七さんはきっと、迷惑だなんて思わないです」

「で、でも……双七さん、すずさんにも怒られてたし……」

 そうだ。双七さんにはすずさんがいて、ふたりの間に入り込む隙間なんてなくて……。

 今日だって、あの滅多に無理を言わない双七さんが、すずさんが八咫鴉さんの屋敷に行くというだけで感情的になって。

あんな双七さんは始めて見た。孤島にいて普通の生活を知らないという負目からか、どちらかと言うと周りに合わせることを大切にしている双七さんが、気持ちを剥き出しにして。

 すずさんも双七さんが他の女の子と仲良くしていると、おもいっきり腹を立てる。それはやっぱり双七さんが大切だからで、自分が双七さんの隣にいたいからで。

 それは、双七さんがすずさんを、すずさんが双七さんを大切に思っていることの、裏返しでもあるのだ。

「うまく言えないけど、すずさんが双七さんの隣に居ることと、さくらが双七さんの隣に居ることは、違うと思うのです」

 わたしの気持ちを理解したかのように、美羽ちゃんが言った。

「うん。双七さんとすずさんが、家族なんだってことは、わたしにもわかる」

 美羽ちゃんの言いたいこと。双七さんにとってすずさんは長年を共に過ごした大切な家族。すずさんにとっても双七さんは、子供のころから見てきた大切な弟。それはわたしも感じていたことだ。

「でも……わたしは」

 そう、わたしは?わたしは何として彼の隣に立ちたいのだろう。後輩として、生徒会の仲間として、それで満足できるのだろうか。それとも……。

「さくら、それは急いで答えを出さなくてもいいと思うのです」

「美羽ちゃん……」

「無理矢理考えて出した答えには、きっと嘘が混じってしまうから。嘘は自分を縛ってしまうから。だから、自然と自分の気持ちを答えることができるその時まで……できることをこつこつと、です」

 できることからこつこつと。それはわたしが以前、美羽ちゃんを励ました時の言葉でもあった。

 そっか、わたし、人にはしたり顔でアドバイスしたりして、自分のことはなんにもできてなかったんだ。今更そんなことに気づいて、恥ずかしくなった。

「双七さんは、むしろさくらと一緒に買い物した方が、気を紛らわせると思うです。いつも側に居たすずさんが居なくて、手術は明日に迫っていて、落ち着かないはずだから」

「そう、かな」

「そうです」

 美羽ちゃんが小さく、でも力をこめてこくりと肯く。バックから取り出した携帯電話を、ぎゅっと握り締める。

「……ありがとう、美羽ちゃん。わたし、頑張ってみる」

「さくらにはいつも励まされてるから、お互いさま、です」

 美羽ちゃんがやさしく笑う。その言葉にわたしも笑顔で答えた。

「うん、お互い、がんばろう」

 意を決して、携帯電話のアドレス帳を開く。

 「友達」のカテゴリー、登録したばっかりの彼のメールアドレスが、液晶に表示された。

 

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