ベルモントは遥か彼方2

 『月光のカルネヴァーレ』のルナリアルート、ロメオ団長エンドの二次創作SSです。

 正確には、ロメオが「ルナリアを止める」を選択した後から、10年後のエピローグまでの間、その中間の時点の話という設定で描いています。

 また、このSSには『月光のカルネヴァーレ』システムスクリプト担当の徒歩十分氏の製作後記絵に刺激されて書いている部分があります。

 『月光のカルネヴァーレ』のネタバレを含みます。ご注意ください。

 

  買い物を終え、テントへと帰り着いた。古びた垂幕を手で捲くり潜ると、ウサギの人形を引きずりながら、イリスが駆けて来る。ピンクのスカートに、いかにも人形然とした装飾がひらひらと揺れる。

「あー、ロメオおじちゃんとルナリアおねえちゃんだー。おかえりなさーい!」

 天真爛漫という形容がぴったりの笑顔と声で、イリスは言った。ロメオが答える。

「ああ。ちゃんと宣伝できたか?」

「うん!イリスがんばったよ!ワッカをピューって飛ばしたら、みんな拍手してくれたの!ねぇ、イリス、役に立った?」

 ロメオはイリスに人形曲馬団チルチェンセスの宣伝を頼んでいた。ダヴィデが口上で案内するのに対し、イリスは実技で人の関心を引くのが仕事だ。

 そして、イリスはその仕事において十分すぎるくらい有能だった。

「そうだな。助かる」

「やったぁ!」

 ロメオの言葉に、イリスは嬉しそうに飛び上がる。が、すぐにロメオの持つ袋に気付くと

「あ、ロメオおじちゃん、それなーに?」

「ん?ああ、晩飯だ」

「おー!ごはん!ごはん!今日のご飯はなんだろう?」

 イリスは袋の中を覗き込み、考え込む。

「うーんと、ベーコンとお野菜、それにパスタと生クリームがあるから……」

「カルボナーラです」

 ルナリアが言った。

「あー!!言っちゃだめー!ルナリアおねえちゃん、言っちゃだめなのー!イリスが当てるつもりだったのにー!」

「それは悪かったですね」

 ルナリアが言う。悪びれた様子すらない。

「いじわるー!いじわるだよー!ルナリアおねえちゃんのいじめっこー!いじめっこはだめだってロメオおじちゃん言ってるのにー!」

 イリスは、手足をばたつかせて大騒ぎだ。外まで聞こえそうなほどに大声を上げ、手に持つうさぎの人形をぶんぶんと振り回す。

「まあ、落ち着け、イリス。カルボナーラ、好きだろ」

 ロメオの言葉に、イリスはその動きを止めた。少し考える仕種をして、

「んー、うん!ルナリアおねえちゃんのごはんは美味しいから、イリス好きだよ!」

 一転、笑顔で肯いた。

「当然です」

 冷静でいながらどこか得意げに、ルナリアが言う。

 イリスはさらに楽しそうに、

「ロメオおじちゃんも、好きだよね?」

「は?」

 唐突の質問に、ロメオは答えることが出来ない。

「ロメオおじちゃんも、ルナリアおねえちゃんのごはん、好きだよね?」

「当然です」

 答えた声はルナリアのものだ。

「なんでおまえが答える」

 呆れつつロメオが言う。ルナリアはしれっとした顔で、

「ロメオさんがいつまでたっても黙って突っ立ってるからです。では、さっさと答えてください。好きですよね、私の料理」

「んっ。あー、それは、だな、まぁ」

 ロメオはまたしても肯くことが出来なかった。

 確かにルナリアの料理は旨い。旨いのだが――。

「なんですかその生返事は。私の料理はロメオさんのお口には合わないとでも?」

 ルナリアが不満げに唇を歪ませる。

 その言葉にイリスが驚きの声をあげた。

「ええぇ?!ロメオおじちゃん、ルナリアおねえちゃんの作るごはん嫌いなの?!ルナリアおねえちゃんの作ってくれるごはんおいしいのに!なんでー?ねえ、なんでー?」

 ロメオは二人に気おされて

「い、いや、嫌い、じゃない」

「煮えきりませんね。はっきりしてください」

「そうだよ!ルナリアおねえちゃんのごはんおいしいよ!クリオくんもおいしいって言ってるもん!」

 二人して詰め寄った。その動きにロメオは後づさる。ロメオは確かに、ルナリアの料理を旨いと思っている。それでも、答えることが躊躇われた。どうしても、あの薄味の料理がロメオの頭をめぐるのだ。

「はっきり言わないと、料理作りませんよ」

「な、いや、それは困る」

 このサーカスでまともな料理を作れるのは、ロメオとルナリアだけだ。ペルラの料理は……不味くはないのだが、毎日食べていると身体を悪くしそうだ。結果、ルナリアが作らないとなると、ロメオが食事の準備まですることになる。ただでさえ公演の準備がある。とても手が回りそうに無い。

 痛いところを突かれて押し黙るロメオに、イリスが提案する。

「ならイリスがロメオおじちゃんのごはんを作ってあげるよ!」

「待て、それだけは止めてくれ」

 ロメオは即座に断った。以前イリスが作ったピッツアを思い出す。砂糖をたっぷり練りこんだ生地に、マシュマロとアメをトッピング、さらに完成後、生クリームを塗りたくり、シュガーパウダーを振りかけたピッツア。それはもう、一口食べるだけで糖尿病になりそうなほどの凄まじい味だった。あれを毎日食べさせられたら本当に死にかねない。

「ええー!なんでー?!」

 イリスが不満の声をあげる。

「なんででもだ!」

 ロメオはそう言ってはぐらかした。さすがに、不味いからと言うのはロメオにも気が引ける。だが、もちろんイリスは納得しない。

「なんでだめなの?!イリスがんばるよ?!」

「頑張らないでくれ。頼むから」

 ロメオがイリスの問いかけに窮しているところに、ルナリアが言う。

「だから、ロメオさんは私の料理を食べたいんですよね?」

 その言葉に肯けば、一応は場は収まる。そうロメオにもわかっているのだが。

「う、いや、まあ」

 ロメオは呻くばかりだ。

「まだ躊躇いますか。頑固ですね。いい加減、認めてください」

「なんでー?ねえ、なんでー!?」

 そうしてロメオが二人に詰問されていたところに、新たな声がかかった。

「何を騒いでいるの、イリス。静かになさい」

 現れたのはコルナリーナだ。豪奢でありながら上品なドレスに身を包み、銀扇で口元を隠して歩み寄る姿は中世の貴族の優雅さを連想させる。が、イリスの

「おー!ものぐさオババがうろついてるー!珍しいー!」

 その一言に、コルナリーナは眉を吊り上げた。

「ものぐさとはなんて物言いですか!あなたが外でふらふらと遊んでいる間に、私がどれだけチケットを販売したと思っているのです!」

「ぶー!イリス遊んでなんてないもん!サーカスのせんでんしてたんだもん!」

 イリスは口を尖らせる。

「そんなことしている暇があったら、少しはこちらを手伝いなさい!ただでさえ人手が足りず、私まで駆り出されていると言うのに……」

「ダメだよー!イリスはロメオおじちゃんにせんでんをお願いされたんだから!チケットを売るのは、ようつうで座ってばかりのオババがやればいいんだもん!」

「私は腰痛などではありません!」

「うっそだー!きっとそうだよ。ほかにもイリス知ってるもん。さいきん、オババが鏡のまえで目尻のしわを気にしてるのだって――」

「お、お黙りなさい!」

 その様子にロメオは頭を抱える。

「もう少し静かに会話できないのか……」

「止めないんですか?」

 詰問を中断して、ルナリアが尋ねる。その口調にも、呆れが滲んでいた。

「もう慣れた、というか、諦めた」

 ロメオは溜息をつく。イリス、ペルラ、コルナリーナの三人には、互いを傷つけることだけは禁じている。あとは好き勝手にやって貰えばいい。

 その声に気付いてか、今になってやっとロメオたちの方へ顔を向けると、コルナリーナは表情を上品にほころばせた。

「あらロメオ様、お帰りなさいませ」

「ん、あ、ああ」

 ルナリアの名前を言わなかったのは偶然、ではないだろう。ロメオは頭痛をこらえて肯き、そこで思いつく。

「――そうだ、コルナリーナ。前売りチケットの売り上げについて報告を聞きたい。団長室へ来てくれ」

 ロメオの言葉にコルナリーナが答える。

「それはかまいませんが、わざわざ団長室まで行かずとも……」

「いいから!それじゃ、ルナリア、夕食の準備は頼んだぞ」

 言うだけ言うと、ロメオはテントの奥へと向かう。それも小走りで。

 ルナリアは思い出したように声をあげる。

「あ、ロメオさん、ちょっと、まだ話は――!」

「ああー!ロメオおじちゃんが逃げたー!」

 二人の不平を背に受けて、ロメオはその場を後にした。

 

 

 

 テントの中の団長用に設けられた一室。チケットの売り上げ報告を受け、ロメオは一息つく。

「なかなか好調だな」

「ええ。まずは順調、と言ってよいと思いますわ」

 コルナリーナも肯いた。

 ロメオは椅子の背もたれに体を預ける。

 とはいえ、まだしなければならないことは色々とあった。

 サーカスの経営についての事務処理もある。

 だが、さし当たっては――。

「ただ今戻りました」

 入り口から声が響く。

「入ってくれ」

「失礼します」

 言って姿を現したのは、均整のとれた美しい顔にメイド服、無表情の奥に真珠の瞳を静かに光らせる女性。ペルラだ。

「どうだった?」

 ロメオはペルラに尋ねる。

「事前の調査どおりです。この街ではここ数ヶ月の満月の夜のたびに、必ず数名の孤児が行方不明となっています。そのいずれも、死体は見つかっておりません」

「そうか」

 ロメオは嘆息をひとつ。

 孤児の失踪は、よくあることだ。バンビーニのような犯罪組織に身を寄せる場合もあれば、犯罪に巻き込まれる場合もある。しかも、孤児であることから、行方不明であることに騒ぐ人間も少ない。結果、孤児の失踪は大きな問題になりにくい。

 ――そこを、利用されている。

 可能性は低くはない。オルマ・ロッサは解体され、いくつもの組織に再編成された。そのうちいくつかは、集団としてまとまることが出来ず、すでに自壊している。この土地の組織のように。

 組織と沈黙の掟[オメルタ]という鎖を失ったはぐれ狼は、自分の良心のみで狼の衝動を抑えなければならない。それがどれほど大変なことか、ロメオは知っている。自分がはぐれ狼であるが故に。

 子供の失踪事件の犯人は、人狼ではないか?

 その真相を確かめることこそ、この都市への遠征の真の目的だ。

「コルナリーナは、どう思う?」

 問いかけに対して、返答は単純にして明快だった。

「夜になれば、おのずと判ることですわ」

「……そうだな」

 今日は満月。新たな犯行があるとすれば今夜だ。

 ロメオは胸元を見つめる。首からかけた鎖の先には五芒星。グリエルモから貰った銀の魔除け[アムレート]だ。これさえあれば、簡単に理性を失うことはない。

「よし。夕食後、行動に移ってくれ。手順は事前に話したとおりだ。頼む」

 コルナリーナが、力を込めて銀扇を畳む。金属を打ち合わせる強い音が、室内に響いた。

「頼む必要はございません。その指輪がある限り、ロメオ様は私たちの主人[パドローネ]。あなた様のご命令どおりに踊るのが、私たちの宿命ですもの」

 コルナリーナの視線の先にあるのは、紅玉髄が埋め込まれた、ロメオの指輪。

「……ああ。わかった」

 ロメオは苦虫を噛み潰す苦痛を味わう。

「では準備もありますので、先に失礼致します」

 口調はやわらかく、足取りも優雅なまま、何事もなかったかのようにコルナリーナは部屋を出て行く。

 けれども、ロメオは知っている。コルナリーナの何よりも望むものが、自由であるということを。

「それでは私も失礼します」

 控えていたペルラも、続いて部屋を後にする。

 その後姿を見ながら、ロメオは思い出す。ペルラを修理した日のことを。

 死傷を受けるわけには行かないが、それでもいくらかの傷は避けられない。ロメオはそう覚悟していた。

 だがペルラは、ロメオやルナリアに危害を加えようとはしなかった。

「私が壊されたあの戦闘時、アンナお姉様は、ルナリアの円筒[シリンダ]の奥に確かに存在していました。そして、――おそらくは今も。アンナお姉様の願いがロメオ様とルナリアの幸せだと言うのなら、私からは申し上げることはありません」

 ペルラはあの日、無表情でそう言った。だが、それは決してペルラが完全に納得しているというわけではなく。

「ですが――いえ、なんでもありません」

 影を帯びた真珠の瞳で、ペルラは先の言葉を飲み込んだ。

 その様子に、ロメオは痛感する。ペルラは本当にアンナのことを慕っていたのだと。

「……そうか」

 ロメオは、そう言って肯くことしか出来なかった。

 なぜペルラやイリス、そしてコルナリーナを直したのか。それは、人形曲馬団チルチェンセスに必要だったから、ではない。アンナならそうすると思ったからだ。

 アンナなら、自分やルナリアだけでなく、ペルラたちの幸せも願ったはず。

 そう思っても、ロメオには口に出せない。口にした途端、ペルラの懐中時計[サポネッタ]はロメオの頭を狙うだろう。たとえ、ロメオの指に真珠の指輪があったとしても。ペルラの幸せを、アンナを奪った者こそ、ロメオとルナリアなのだ。

 過去は、今もロメオの胸を切りつける。いっそペルラの懐中時計[サポネッタ]に身を委ねてしまおうかと思うくらいに。

 けれども、ロメオもルナリアも、ペルラに殺されるわけにはいかない。ペルラの復讐を甘受するわけにはいかない。

 ロメオが死に、ルナリアが死に、残るは総てを失ったペルラだけ。そんな結末を誰よりも望んでいないのは、アンナだ。だから、ロメオは殺されるわけにはいかない。

 ロメオはルナリアと生きていくと決めたのだ。

 八方塞の現状。

 ロメオにはコルナリーナの望む未来を見せることは出来ない。ペルラを幸せにすることも出来ない。

 それでも、ロメオは二人を治した。

 何が出来るかわからない。何をすべきかわからない。

 それでも、ロメオは二人と会話を重ね、時は静かに進み続ける。

 

 

 

「はっ、はあっ、ひっ、はっつ」

 走る。走る。ただ走る。暗い路地を抜けながら、幼い身体に鞭打ちながら、彼女はひたすら走り続ける。

 夜の冷気が咽喉を焼く。息を吸うたび、ひりひり痛む。足元の雪が凍り、ずるずる滑る。何度も何度もこけそうになる。それでも彼女は走り続ける。

 逃げなければならない。足を止めれば、先はない。きっと命が奪われる。だから彼女は走り続ける。

 その眼には一杯の恐怖。昼間サーカスの人形に感じたものとは別種の、生存を脅かされることへの根源的な恐れ。

 闇から自分を追いかけてくるのは、人間ではない。化け物だ。

 先ほど、目の前で、男の手が変質する様を、見た。あれは、見てはいけないものだった。この世ならざるものだった。

 曲がり角で足がすべる。身体が倒れ、路上裏のゴミ箱に激突する。残飯が体中を汚す。嫌なにおいが鼻を突き、それでも彼女は立ち上がり、がむしゃらに走り続ける。

 ちょっと帰りが遅くなった。それだけだった。近道を教えてあげると話しかけられた。それだけだった。その言葉を信じてしまった。路地裏に誘い込まれた。それが、いけなかった。

 おかしい。

 何かが絶望的におかしい。

 本当なら今頃、彼女は施設に帰って、たいして美味しくない晩御飯を食べて、来週のサーカスを楽しみに、寝床に入るはずだった。

 なのに今、目の前に広がる悪夢はなんだろう?

 彼女には、これが現実だとは認められない。認めたくない。認めれば、己が壊れてしまうから。

 とにかく、人のいる通りまで出れば。そうすれば、この悪夢から逃れら得る。その希望にすがり、走り続け――。

「さあ、狩りの時間は終わりだ」

 その希望をも打ち砕く獣の声が、目の前から聞こえた。

 人のものとは思えない程に低く唸る、男の声。金縛りにあったように動けなくなる。目の前には先ほどの男が立っていた。男の眼が、闇夜に異常なほどぎらつく。鋭い犬歯が不気味に輝く。その顔に睨まれた瞬間、身体が竦み、動かなくなる。

「あ、あ、あぁ……」

 女の子は、足から崩れ落ちた。

 

 

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