『あやかしびと』のSS「姉川さくらルート」妄想追加ルートです。
『あやかしびと』及び『あやかしびと―幻妖異聞録―』のネタばれを含みます。ご注意ください。
雨の中をさくらちゃんと歩くことしばらく、昨日子犬を見つけた場所にたどり着いた。
ビルの谷間は雨風を防ぐのに持ってこいの様で、子犬は濡れることもなく、昨日と同じようにダンボール箱の中に座っている。俺たちに気がつくと前足を乗り出して、まだ小さな尻尾をぱたたたっと振った。
顔を覚えているのかもしれない。そう思うと、嬉しい反面、自分の無力さを痛感する。なんと言っても、まだ里親を見つけることすら出来ていないのだ。
さくらちゃんが子犬の前にしゃがみ込んで、
「ちょっと待っててね」
と、プラスチック製の容器にドックフードを盛っていく。
雨粒がさくらちゃんに当たらないよう、手に持つ傘の角度を調節した。
「はい、どうぞ」
さくらちゃんが容器を置く。その途端、子犬は口をはくはくと動かして食べていく。すぐに容器の中のドックフードは空になってしまった。
子犬は舌で鼻を舐めつつ、濡れた瞳をこちらに向け、ますます尻尾を振る。
「はいはい、まだありますよー」
ドックフードを容器に入れる。その先から、子犬が口にかき込んでいく。ドックフードが全部なくなるまでに、さほど時間はかからなかった。
「わぁ、食べ盛りさんですね」
本当、見事な食べっぷりだ。ドックフードを食べ終えてご満悦の子犬の姿を見る。それはまるで。
「すずと一緒だな」
「すずさんと?」
「ほら、犬や猫は食えるときに腹一杯食べるっていう」
「ああ。そうですね」
すずとさくらちゃんと三人でカツ丼を作った時の話。
作るそばからつまみ食いしてしまうすずに呆れて、同じようなことを言い合ったっけ。
違いがあるとすれば、この子犬の場合、本当に食べられる時に食べて置かないといけない状況だということだ。俺たちがいくらこれからも食べ物を持ってくるつもりだったとしても、それをこの子犬に伝えるすべはないわけで。だから、この子犬はきっと今も、不安と戦い続けてるのだと思う。
この子犬を助けたいと言いながら、俺はこの子犬に、俺が薫お姉ちゃんや九鬼先生やすずに貰ったものを、何ひとつあげられていない。
「なんとかしてあげたいな」
俺の呟きに、さくらちゃんが肯いた。
「そうですね。飼ってくれる人が見つかると良いんですけど……。明日また、がんばりましょう」
そう言って、さくらちゃんが立ち上がった。……立ち上がれば当然、再び密着した形となるわけで。我ながら正直というか、情けないというか、落ち着きかけていた心臓が再び早鐘を鳴らし始めた。
鼓動が体中へ興奮を伝えていく。浮ついた気持ちが頭へ広がる。先ほどまで子犬のことを心配していた自分がまるで嘘であるかのように。……そんな自分に、すこし落ち込んだ。
「あの、どうかなさいましたか?」
「いや、なんでも」
さくらちゃんに答える。落ち込んでいるわけにもいかない。俺がここで猛省したところで子犬の里親が見つかるわけでもないし、今は見回りの途中だ。自分の軽薄さを呪うより行動しないと。
「よし、行こう」
「はいっ」
自分への反省と、心臓の高鳴りを胸に、俺たちは再び歩き始めた。
見回りを始めてから1時間は経っただろうか、雨雲の影に霞む夕日も落ち始め、周囲が本格的に暗くなりだしたころになって、ホームセンターの前へと戻ってきた。
「……ついちゃいましたね」
「……うん」
さくらちゃんの言葉に、曖昧に肯く。
やっぱり折り畳み傘一本にふたりは無理があるわけで、ここまで歩いてくる間に俺はもちろん、さくらちゃんの肩も雨に濡れてしまっている。
そして目の前にはホームセンター。当然、傘も売っている。ここで傘を購入すれば、もうさくらちゃんに迷惑をかけずにすむ。
それに、そろそろ生徒会室に戻らなければいけない時間帯だ。すずと美羽ちゃんも待っているはず。早く傘を手に入れて、学園へ向かわないと。
そう、思う。
そう思うのに、足取りが重い。
別に、傘を買うお金が惜しいというわけじゃない。いや、借金している身である以上、無駄遣いは少しでも避けるべきなんだけど、傘なら一本予備があってもいいと思うし、両方とも大事に使っていけばいい話だ。
だから、そういうことではなく。
理由があるとすれば、それは気持ちの問題というか、単純に俺が……。
「…………」
「…………」
沈黙の中に、傘を打つ雨粒の音が小さく響く。
……これ以上さくらちゃんに迷惑をかけるわけにはいかないし、第一、ホームセンター前まで来て黙んまりなんて変だよな。
思い直して、口を開き、
「あのさ……」
「あ、あのっ……」
さくらちゃんと声が重なる。胸がぎくりと音を立てた気がした。やっぱり変に思われていたのだろうか。
「えっと、なに?」
「い、いえ、わたしは、その、あ、後でいいですから、双七さんから、どうぞっ」
「いや、俺こそ大したことじゃないし、さくらちゃんの方から……」
「いえいえ、双七さんから……」
そのまま、さくらちゃんから、双七さんから、と譲り合うこと数回。このままでは埒が明かない。俺から先に用件を伝えることにした。
「そ、それじゃあ。――えっと、俺、傘買ってくるから。ちょっとここで待っててくれるかな、って言おうと思ったんだけど」
「えっ?あ……えと、その……は、はい。わかりました」
さくらちゃんは少し驚いた顔を浮かべたかと思うと、そう肯いた。なんだか、戸惑ったような困ったような、それでいてほっとした様な、いろんな感情の混ざり合った表情を浮かべている。
さくらちゃんの表情も気になるし、行く前に聞いてしまおう。
「じゃあ、ちょっと行ってくるけど、その前に。さくらちゃんの用は?さくらちゃんも何か俺に言いたいことがあったんじゃ……」
が、さくらちゃんは再び慌てた顔をすると、胸の辺りでぶんぶんと両手を振って、
「あっ、なっ、なんでもありませんからっ、わたしは」
なんだか猛烈に否定されてしまった。
「へ?でも……」
「本当になんでもないんですっ」
やっぱり、傘を買いに行かずに突っ立ってた俺を不思議に思ったとか、そんな所だったのかな。納得して、
「そう?じゃあ、ちょっと行ってくるから」
と、店に足を向ける。
「は、はいっ!いってらっしゃい、お気をつけてっ」
傘を買ってくるのに気をつけることもないと思うけど。
ぶんぶんと手を振るさくらちゃんに見送られ、俺は店内へと向かった。
――結局、言えなかったなぁ。
彼の背中が店内に消えたところで、わたしは大きく息を吐いた。安堵と失意と諦念と、何より自分自身への失望で、今も燻る夢見心地を塗りつぶそうとする、そんなちょっとずるい溜息。
けれど胸の動悸は治まりを知らず、耳元にまで木霊する。頭の中で響き渡り、何度も何度も気を急かす。期待と希望と興奮で、自分自身を揺り動かす。そんな悩ましくも心地よい、そしてとっても怖い誘惑。
どうして。
どうして彼を、黙って見送ったのか。
どうして傘を買いに行くという彼を引き止めて、……。
考えを断ち切るように、小さく頭を振る。
……落ち着かなきゃ。
何度も吸っては息を吐く。そうしながら、落ち着くなんて無理だと、自分でもわかっていた。
自分の半身には、未だ彼の温もりがあったから。
その温もりを名残惜しむ自分がいたから。
あまりの名残惜しさに、『どうせですから、学校まで傘に入っていきませんか?』と、そう彼に提案したくて堪らない自分がいたから。
肌と肌が重なる距離で感じた彼の体温。それは彼の心を表すかのようなぬくもりで。
一生懸命見回りをする表情や、子犬を見つめる柔らかな瞳が、なおさら身近に感じられて。
一緒にいるだけで体中が熱くなる。
ずうずうしくても、まだ隣にいたいと願ってしまう。
その度に、胸にひとつの想いが迫る。
いつからだろう?
わからない。
最初の印象は、優しそうな人だなぁ、というものだった。会話を重ね、おふたりの過去を知ってからは、その印象は確信に変わった。
それは決して悪い印象ではなかったけれど、憧れやときめきを感じるものとは違って……。
でも、毎日を双七さんやすずさんと一緒に過ごして、それは何の変哲もないものだったかもしれないけれど、その変哲もない一日に喜ぶ彼の笑顔はとても眩しくて……いつからかわたしは、彼のその笑顔を、いつも視線で追うようになっていた。
いつからか、わからない。
わからないけれど、胸に燻り始めていたこの気持ちが、彼を見るごとに、彼と会うごとに、彼と話すごとに、大きくなっていく。体中に広がっていく。
『わたしは何として彼の隣に立ちたいのだろう?』
以前、美羽ちゃんとの下校時に出せなかった答えが、ぼやけていた自分の気持ちが、今は輪郭を持ってきている。そんな気がする。
――生徒会の後輩としてじゃない、友達としてでもない、もっと別な存在として、わたしは彼の隣に居たい。
でも、じゃあ、双七さんは?
双七さんは、わたしのことをどう思っているのだろう。わからない。わからないけれど、今日の雰囲気は、悪くなかった、と、思う。
……たぶん。
舞い上がったわたしの思い違いでないなら、だけど。
それに、その、あ、相合い傘なんてしてしまったわけで、事情を知らない人が見れば、もしかすると、こ、恋人同士、なんかに見えちゃったり、して。
「……はぅ」
顔が急激に熱くなる。
れ、冷静に、冷静に。
すぅ、はぁ、と深呼吸。
そう、冷静に考えればこれは見回りで、わたしと双七さんは生徒会の活動中の先輩と後輩で、それ以外に意味なんてなくて……でも、さっき会った双七さんのクラスメイトの先輩もあんなこと言ってて、って、そうじゃなくてっ。
ふるふるふるふる。
何度も何度も頭を振る。
大体、双七さんもその先輩に「そんなんじゃない」って否定してたし。
それは「変な誤解をされないように」という双七さんの配慮だったのかもしれないけれど、逆に考えれば、わたしは最初から双七さんにとって、恋愛とかの対象ではないってことだし……。
「…………ぁぅ」
自分の考えにおもいっきりへこんだ。
で、でもでも、少なくとも嫌われてはいないわけで。それならまだ、これからのがんばり次第で、そういう関係になる可能性だってあるはずで。
そう、それなのに……わたしは言い出せなかった。このまま帰りませんかと、たったそれだけのことを。言おう、言おうと思っても、体が震えて声に出来なかった。
そのひと言を口にすることが、なぜか怖かった。もう一歩、彼の側に踏み出すことが、不安で堪らなかった。
なんでだろう。
男の人が、恐かったから?それは、ない。今でも他の男の人に無遠慮な視線で身体を見られたりするのは嫌だけど、そ、双七さんになら、その、仮にそんな風に見られても……だ、大丈夫。
なら、なんで。どうして。
自分の心を覗くように、傘の影から空を見上げる。曇から溶けた雨粒が、何度も何度も傘を打ち、雫が地面に滴り落ちる。水溜りに、波紋が広がる。波紋が靴にしみこむように、冷たい思考が背筋に駆ける。
わたしはもしかして、また自分の気持ちから逃げ出そうとしているのだろうか。彼の境遇や過去に恐れを抱いて、躊躇しているのだろうか。
――会長と刀子先輩のことを知った時と、同じように。
「……違う」
それだけは、違う。それだけは、断言できる。
未だに、自分が強くなれたかどうかなんて判らない。自分が変われたかなんて判らない。
でも、約束したから。逃亡者だとか、妖怪だとか、気にしないって。わたしのスタンスは変わらないって。約束したから。その約束が、今も胸の奥に息づいているから。
じゃあ、なにが怖かったというんだろう。
双七さんに相合い傘を断られることが不安だった?普通に考えれば、そうなんだと思う。でも、最初に彼に傘を差し出した時は、そこまで不安は感じなかった。あの時は単に、急な雨で不安を感じるだけの余裕がなかった、というだけなのかもしれないけれど。
それに、客観的に考えて、断られる可能性ってそんなに高かったのかな。学校に帰り着けば双七さんは折り畳み傘を持っているのだから、ここでどうしても傘を買う必要もないわけだし、そもそもホームセンターまで一緒の傘に入って帰ってきているわけだし、案外すんなり提案を受け入れてくれたかもしれない。別に、付き合ってくださいと頼むわけでも、告白するわけでもないのだし……。
……告白。
自分のこの気持ちを、双七さんに知られる。
告白はしないにしても、相合い傘で帰ろうなんて提案して、もしこの気持ちを知られてしまったら。
それは……やっぱり恐いかも。まだ心の準備が出来てない。
だからわたしは言えなかったのだろうか、学校までこのまま行こう、と。
……でも、なんだがそれも違う気がする。
水溜りを眺めつつ、思考をめぐらせていたところ、
「お待たせ。それじゃ戻ろっか」
と、当の本人に話しかけられた。
心臓がとくんと跳ねる。内に潜っていた思考が、急激に外に引き戻される。
心の中で深呼吸。気持ちを落ち着ける。
「そうですね。時間も時間ですし、少し急ぎましょう」
ふたり傘を並べて、学校への道を歩く。
さっきより少し遠い、二人の距離。
わたしと双七さんとの間にある、本当の距離。
二人の間を、秋風が駆けていく。
彼の温もりを感じられないその隙間が、とても寒かった。
生徒会室には既に俺とさくらちゃん以外の皆が帰っていた。
で、
「双七くん、遅いっ!遅すぎ!スローリィ!」
戻るや否やすずに怒鳴られた。
「いや、子犬のところよってたら少し時間かかっちゃってさ。反省してる」
子犬のことや急な雨で時間を食いすぎたらしい。見回り終了予定の時刻から遅れたといっても10分ぐらいなんだけど、遅刻は遅刻だ。明日はもう少し時間配分を考えないとなぁ。
「皆も、すいません」
「ごめんなさい」
さくらちゃんとふたりで謝る。刀子先輩は、
「かまいませんよ。初日ですから勝手のわからない事もあるでしょうし、そもそも、それほど遅れてもいませんから。さくらちゃんも双七さんも、そうお気になさらず……」
と言ってくれるが、怒りの収まらないすずはますます語気を強めて、
「む、刀子は甘い!甘きこと激甘カレーの如しってくらいに甘い!甘すぎは身体に毒なんだから!」
と良くわからない例えで怒鳴る。
「激甘カレーって、この前の夕食のか?」
この前の夕食、即ち、先週の日曜にふたりで作ったカレー。確かにあれは甘すぎた。
「でも、あれはおまえが蜂蜜入れすぎたのがいけないんだろ。スプーン一杯で良いって言ったのにどばどばと……」
「うっ……。い、今はその話は関係ないでしょ!今は、えっと……そ、そう、要はたまには厳しくしないといけないって話!飴と鞭は使い様、双七くんにはここらで一度、びしっと言っておかないといけないんだから。そもそもね、最近の双七くんは時間にルーズすぎるの!前にさくらと買い物に行った時だって……」
うわぁ、完全にお説教モードに入っちゃった。これはしばらくは終りそうにない。そう思っていたのだが、すずは
「……ん?んんっ?」
と急に眉を
そして案の定その予感は的中な訳で。周囲の視線が集まる中、嗅ぎ終えたすずは、不機嫌極まりないといったぶっちょう面をしたかと思うと、
「……さくらの匂いがする」
なにやらとんでもないことをおっしゃいましたよ?
ざわっ。
皆が一斉にざわめく。
「な、ななななな、何言うんだよ、すずっ」
気が動転したところに、
「なんだぁ、まさかおまえ、本当に襲っちまったか?」
と上杉先輩。
「しませんってば!」
すぐさま否定する。が、ここぞとばかりにトーニャが口を挟み、
「見回りと称して人影のないところに連れ込んで、抵抗の出来ない後輩の唇を無理矢理。……うわ、鬼畜」
「そこ、勝手に話を捏造した上に冷たい眼で見ない!」
冤罪もいいところだ。
「そ、そうですよ。無理矢理とか、そんなこと全然ありませんでしたからっ」
慌ててさくらちゃんがフォローに入ってくれる。
が、その発言にトーニャの眼がきらりと光った。
あ、まずい。
そうは思ったのだけれど、俺が口を挟むより、トーニャの発言のほうが早かった。
「なるほどね。昨日のさくらの様子、気になってはいたんだけれど……」
「え?」
と首をかしげるさくらちゃんにトーニャは意地の悪い笑顔で、
「つまるところ、合意してしまったから無理矢理ではない、と。さくらも随分大胆になったわね」
「そ、そういう意味じゃないですよぅ!」
俺たちの会話に、すずがむすっとしたまま入ってくる。
「じゃあ、双七くんの体からさくらの匂いがするのは、どう説明するっていうの?」
今度は俺がさくらちゃんをフォローしようとして、
「だからそれは急に雨が降り出し、あ、いや、なんでもない」
同じく墓穴を掘ってしまった。
「――雨?」
すずが、それが何の関係があるのかと不思議そうな顔をする。
まずい。別にやましい事は何もないんだけど、やっぱりあれは言わない方がいいよな。さくらちゃんのためにも、今の雰囲気的にも。そう思っていたところに、これまで静観していた狩人が口を開いた。
「そういえば、如月くんたちはあまり濡れていないね。僕たちなんて傘を持ってなくて大変だったというのに」
狩人の言葉に、今度はトーニャが横槍を入れる。
「本当に大変だったのは愛野くんではなく、雨に濡れてくしゃみをした拍子に吐血して死んでしまった愛野くんを運びながら見回りを続けたわたしなんですが」
くしゃみで吐血!?
狩人はやれやれといった口調で、
「いやー、急に冷たい雨に打たれたせいで、体がビックリしてしまってね」
こっちがビックリだ。
話を聞いていたさくらちゃんが、急に手を上げて言った。
「あのっ、濡れてしまったということは、傘を買ったりはしなかったんですか?わたしは折り畳み傘を持ってましたし、双七さんは近くのホームセンターで買ったんですけど」
どうしたんだろう、さくらちゃん、なんだか慌てているような、……あ、そうか、どうにかしてさっきの俺たちの話から話題を逸らそうとしているのか。
さくらちゃんの質問に、
「買ったわよ、わたしは」
と、トーニャが答える。
俺もさくらちゃんに合わせることにして、トーニャに尋ねた。
「わたしは、ということは狩人は?」
「愛野くんは吐血後に意識を失って傘を差せる状態にありませんでしたので、そのまま連れて帰りました」
トーニャの言葉にさくらちゃんが再び質問する。
「そのままって、そのままですか?」
「ええ。そのまま」
さらっと答えるトーニャ。
確認までに俺も聞いてみる。
「えっと、それって雨に濡れる状態のままってこと?」
「はい。なにせ愛野君の場合、カッパを着せようとして下手に動かすだけで手足が取れたりするので」
……狩人も大変だな。
だが本人は全く平気な様子だ。
「僕の場合、雨の日に外で死んでしまって野ざらし、なんてこともあるからね。運んでもらっただけで十分さ。それに、たまには濡れ鼠になるのもいいものだよ。――なにせ、水も滴るいい男って言うからね」
髪をさっとかきあげ、背後には満開の薔薇を咲かせる狩人。
いや、でもそれ、これっぽっちも理由になってないから。
上杉先輩の
「お前が滴らせるのは、どちらかっつーと血だろーが」
という突っ込みにも、狩人は
「おや、これは一本取られましたね、ははっ」
と笑う。
ある意味たくましいな。いや、全くもってたくましくないんだけど。
話を聞いていた刀子先輩が、トーニャに提案した。
「ですが、また見回り中に雨が降ったら大変でしょうし……そうですトーニャさん、もしよろしければ、兄様の用意した狩人くん専用タッパーをお持ちになりませんか?もしもの時に役に立つと思いますので」
「あ、そうですね。お願いします」
狩人専用タッパーか。……単語としては普通の言葉なんだけど、刀子先輩が取り出したのは、この前も見た、血の跡のこびり付いたタッパーな訳で。冷静に意味を考えるととんでもない会話なんだよなぁ。というか、いくら死に易いとはいえ、タッパーが必要になるほどばらばらに千切れるってのは心底どうかと思う。
まぁ、何はともあれ、俺たちの話題はうやむやになったようでよかったよかった。
「それで?雨でみんなが大変だったってのはわかったけど、その雨が双七くんとさくらとどう関係してくるわけ?」
うう、人が安心した途端に蒸し返す狐が。
「いや、それは、なんでも……」
言葉を濁す俺に、すずの表情がさらに訝るものとなり、
「双七くん、“答えなさい”」
こ、言霊!?言霊憑かせてまで聞き出そうとするか、おまえは!
「あ、雨が降り出したから……」
うわ、口が勝手にっ。
「から?」
すずに先を促される。
あわわわわっ、とさくらちゃんが慌て、みんなが固唾を呑んで見守る中。
「さくらちゃんの傘に、入れて、もらいました」
言ってしまった。うう、誰か止めてくれたって良いのに。
『おおぉ』
さくらちゃんとすず以外のその場にいる全員が、そろって喚声をあげる。
狩人がしみじみとした口調で、
「んー、相合い傘、青春だねぇ」
刀子先輩は、
「あ、相合い傘というと、二人でその、密着してひとつの傘にという、あの相合い傘のことなのでしょうか」
と赤くなり、美羽ちゃんは、
「さくら、すごいのです」
となにやら感心した様子で肯く。
七海さんまで、
「これは、もしかして本当にもしかするのかしら」
と呟いていた。
「ただ傘の売っているお店まで入れてもらっただけですって」
慌ててフォローを入れるも、
「…………」
すずが無言で睨んでいた。なんだか不機嫌だった。かなりご機嫌斜めだった。というか、斜めを通り越して垂直(それも断崖絶壁)な感じだった。
「あ、あのな、すず」
最悪、噛み付かれるのを覚悟して話しかける。が、すずは小さく口を開いて、
「……しも、……く」
「え?」
思わず聞き返す。
すずは声を荒げ、
「わたしも、行くっ!」
「行くって、どこへ」
「どこへって、だからっ、わたしも行くって言ってんの!!明日から、見回りに!」
不機嫌そうに、すずはそう宣言した。
「な、何言ってるんだよ。無理に決まってるだろ」
俺の言葉に、すずの口調がますます荒くなる。
「無理じゃない!行くったら行く!わたしは、双七くんを、見張りに行くの!そんな人前で、そ、そんなことして!風紀を取り締まる側が風紀を乱してどうするってのよ!」
風紀を乱すってそんな。雨の不可抗力なんだし、風紀を乱すようなことでもないと思うんだけど。
「そうは言うけど、生徒会室はどうするんだよ」
「うっ、で、でも……」
「もしものことがあったとき美羽ちゃん一人じゃ大変だろ?」
「う、うーっ」
「唸ってもダメだって」
すずの急な提案に刀子先輩も、
「どうしましょう」
と困り顔だ。
そんなすずに助け舟を出したのは、意外なことに七海さんだった。
「刀子先輩、わたしが新井さんと交代するというのはどうでしょう。わたしの人妖能力なら、ひとりでも有事に対応できますし、わたしが残れば、すずさんが如月くんたちに付いて行っても大丈夫だと思うんですが」
「伊緒さん……ですが、よろしいのですか?」
「はい」
刀子先輩の言葉に七海さんは肯き、
「新井さん、悪いんだけど見回りの役と待機の役、代わってくれる?」
「ぇ、ぁ、あの、でも……」
美羽ちゃんは急な展開に戸惑いながらも、
「その、えっと――はい、です」
そう肯いた。
七海さんが上杉先輩を見つつ、
「あのバカのこと、お願いね。眼を離すと、すぐサボるから」
と美羽ちゃんに言い、美羽ちゃんが
「り、了解したのです」
と、再び肯く。
そのやり取りを見ながら上杉先輩が
「んなこといって、実は自分がめんどくさくなっただけなんじゃ――」
と軽口を言いかけたところで、
「そんなわけないでしょ!あんたじゃあるまいし」
と、七海さんに突っ込まれていた。
「それでは、明日の見まわりでは伊緒さんに生徒会室に残ってもらって、刑二郎くんには美羽ちゃんが、双七さんにはさくらちゃんとすずさんが付いていく、ということでよろしいですか?」
異論を唱える人は特になく、明日はすずも見回りに付いてくる事になった。
その後、刀子先輩の
「それでは、話がまとまったところで、今日の見まわりの報告をお聞きしたいのですが」
という言葉を受けて報告をする。俺たちの地区も含め、どこにも異常はなく、本日の生徒会活動は終了となった。
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