ベルモントに沈む夕焼け

 『月光のカルネヴァーレ』のアンナルート、アンナ人形エンドの二次創作SSです。正確には本編でのルナリアを修理するエピローグの少し前の話、という設定で書いています。

 

 『月光のカルネヴァーレ』のネタバレを含みます。ご注意ください。

 

 午後の昼下がり。

 ベルモントは今日も快晴。陽は傾き始めてはいるが、それでもまだ明るく空を照らしている。

 往来には人が溢れ、楽しげに行き来する。その中に混じって、アンナとペルラも家路を歩いていた。

「じゃーがいもー、じゃーがいもー、めーをたべたらあぶないぞー、それとれ、やれとれ、ひっこぬけー」

 爽やかな午後に、アンナの歌声が響く。

 即興の歌。歌詞は出鱈目。だが、アンナは気にしない。風変わりな歌を、ご機嫌だとばかりに天高く歌い上げる。

 事実、アンナは上機嫌だった。今日はペルラの家政婦の仕事が休みだということで、二人で夕食の買い物に来たのだ。ペルラの身体を修理して以来、一緒に出かけるのは初めてだった。

 食材も買い終わり、後は帰るだけ。

 帰り着いたら今度はペルラと料理をする予定だ。

 ロメオの家はいまや大所帯。ロメオとノエルに加え、イリス、ペルラ、コルナリーナがいる。いくら作っても作り過ぎることはない。

 騒がしく楽しい日々。

 そんな日々がアンナには嬉しくてたまらない。

 弾む気持ちを全身で表現するアンナに、ペルラが声をかけた。

「アンナ様、私がお持ちします」

 アンナの手には、買い物籠。歌にあわせてフリフリと振る。中には今日の夕食の食材が詰まっていた。確かに軽くはない。それでも、アンナはペルラの申し入れを断った。

「いえ、ペルラさんにはすでに持ってもらってますから」

 アンナの言う通り、ペルラも手に買い物籠を提げている。中にはアンナに負けないくらいの食材も詰まっていた。

 それでもペルラは、自分が荷物を持つことに拘る。

「私ならば大丈夫です。ひとつもふたつも同じですから。それに、アンナ様は先ほど仕事から帰ったばかり。ですから……」

 ペルラの言葉を、アンナが遮る。

「それを言ったら、ペルラさんだって、今日は折角の休日ではありませんか」

「私のことは、お気遣いいただかなくても結構です」

「ダメです。円筒[シリンダ]にあまり多くの負荷をかけるのは良くありません。ペルラさんも機械を直すのですから、解かる筈です」

 ペルラは少し戸惑ったように言う。

「ですが、アンナ様は仕事から帰ったばかり。お疲れでは……」

 ペルラの言葉に、アンナは買い物籠を片手で持ち、空いたほうの手をぶんぶんと振った。

「そんなことありません。アンナさんはいつだって元気一杯ですよ!それに、なんと!今日はお師匠さまに少し早く上がらせて貰ったのです!」

 じゃじゃーん、と効果音でもつけたそうに言うアンナ。

 普段はあまり感情を顕わにしないペルラのその顔に、微かに驚きが滲んだ。同時にその口から、

「えっ?なぜ……」

 と、呟きがもれる。

 ジェルマーノの工房での仕事は、誰かから強要されたわけではなく、アンナ自身が望んでしていることだ。だからこそ、アンナは仕事に懸命に取り組んでいる。そのアンナに仕事を切り上げさせる程の理由を、ペルラは思い付かなかった。

 ペルラの問いに、アンナは当然だというように、

「ペルラさんとお買い物をするために決まっています」

「わ、わわわ、私などのために……」

 頬を微かに染め、ペルラが呟く。表情にも戸惑いと喜びが入り混じる。

 だが、ペルラのその言葉にアンナはぴしゃりと、

「など、なんかではありませんよ。そんなに自分を髭しては――あれ?えーっと……竹?三毛かもしれません」

 ぴしゃりと言おうとして、失敗した。

「もしや、卑下、でしょうか」

 ペルラが指摘する。

「そう、それです!卑下です!卑下してはいけません」

 気を取り直して、今度こそアンナは言った。

 その言葉に、ペルラは微かに視線を落とす。

「ですが、私にはアンナ様に良くして頂く資格がありません」

「資格、ですか?」

「はい」

 感情を灯さない表情で、短く答えるペルラ。だが、アンナはその言外に、何かを感じる。言いたいのに、言いたくない。相反する想い。

 ペルラの様子を見て、アンナが提案した。

「あ、そうです、ペルラさん。この近くに公園があるのです。ちょっと寄っていきませんか?」

 ペルラは小さく目を見開く。

「公園?ですが、帰宅予定時刻が……」

「少しくらい遅れたって大丈夫です」

 言って、アンナはペルラの手を握った。

「えっ?!」

 その瞬間、ペルラの思考は完全に真っ白になった。

「それでは、いきましょう」

 そのまま公園へ連れて行こうとするアンナ。が、ペルラはといえば、それどころではない。

「あっ、あああ、あの、あのっ、て、て、てててて、手、手がっ……」

 雪のように透き通った頬がみるみる赤みを帯びる。動転して上手くしゃべることすら出来ない。繋がれた手と手を見つめながら、どうすれいいかわからないというように真珠の瞳石[ジェンマ]を左右にチラチラと動かし、焦点が定まらず夢見心地に惚ける。

「ペルラさん、どうかしましたか?」

「いえ、その、ですから、その、手が、あの、ぁぁ……」

 結局何も言えずに、ペルラはただ吐息を漏らす。

 その手を引いて、アンナは公園へと向かった。

 

 

 

 ノヴェッラ庭園のように大きなものではないが、公園はきちんと整備されていた。

 木々は若々しい葉を繁らせる。その緑葉に夕日が降り注ぎ、木漏れ日を地面に落とす。夕焼け色の光の粒が、爽やかな風に揺られ擦れる葉の音と共に、生えそろった芝生の上を踊った。

 デート中の恋人、買い物帰りの親子連れ、散歩中の老人たち、それぞれがその場を享受している。

 柔らかな日差しと光景。

 その中を、歌を口ずさみながら、アンナは歩く。

 少し後ろにペルラが随った。

 二人の手はもう繋がれてはいない。引かれずとも後ろを付いて行くからと、ペルラが断ったためだ。

 それがアンナには少し寂しい。

 だから、その気持ちを思ったままに言葉にしようとして、

「ペルラさんは、なんでそんなに……タニシ凝視、単に行司、短期上司??」

 またもや失敗した。

「他人行儀、のことでしょうか」

 またもやペルラが指摘する。

「まさしくそれです!」

 改めてアンナは尋ねる。

「遠慮したり、さっきだって、私の荷物まで持とうとしたり、どうしてですか?」

 ペルラはアンナを見つめ、

「私はアンナ様に恩があります」

「恩、ですか?」

「はい。アンナ様に修理していただけなければ、私は今、ここにいません。ですからせめて、アンナ様のお役に立ちたいのです。なのに、ご迷惑をかけるなど、持ってのほかです」

「そんなこと、私は気にしませんよ」

「アンナ様が気にせずとも、私が気にするのです」

 ペルラは断言する。

 ペルラの言葉に、アンナは、

「うーん。これは困ってしまいました」

 その様子を見て、珍しく躊躇いながら、ペルラは口を開く。

「……それに、私はアンナ様を壊そうとしました。その私に、アンナ様の好意を受ける資格などある訳がありません」

「そんなことはありません」

 今度の言葉は、アンナは即座に否定した。

「今ならわかります。あの時ペルラさんは、私に壊されるつもりだったのではありませんか?」

「買い被りです。私は、私たちのことを忘れていたアンナ様が憎かった。私たちを捨ててロメオ様との生活を選んだアンナ様が許せなかった。そしてあの時、私は主人[パドローネ]を失い、人形として生きていくことが困難な状態だった。だから、懐中時計[サポネッタ]をアンナ様に向けたのです。この事実は変わりません」

 断言して、鎖の付いた懐中時計[サポネッタ]を取り出す。その上蓋には鳥兜[ルパーリア]の紋章。ペルラが、五体の円筒[シリンダ]を集めて人間になるべく、鳥兜[ルパーリア]によって作られた銀貨[アルジェント]である証。

 鳥兜[ルパーリア]が無くなろうと、胸の内にどのような想いがあろうと、銀貨[アルジェント]としてアンナを壊そうとしたという過去は変わらない。

 結果としてアンナに壊される運命ならば、それで良いと思っていた。そして、事実、そうなった。けれども、もしかしたらペルラは、アンナをその手にかけていたかもしれないのだ。

 なのに、アンナは気にしない。

「それは、皆さんのことを忘れていた私が悪いのだから、しかたありません。それに私だって、一度ペルラさんを壊してしまいました」

「それこそ、私の当然の報いです。最初に手を出したのは私。アンナ様が気に病む必要はありません。私のしたことは許されざること。――いっそ、アンナ様が人間となるための礎になれれば……」

「そんなことを言ってはダメです!そんなことを言うペルラさんは、お尻ぺんぺんです」

 両手を腰に当て、声を荒げるアンナ。その様子にペルラは照れ、どう反応すればいいのか判らない。当惑し、眼を見開きながら

「……ぺ、ぺんぺん?」

 とだけ呟いた。

 だが、アンナは大真面目だ。

「そうです!ぺんぺんです!ですから、そんなことは言わないでください。確かに私は、ペルラさんのことも、イリスちゃんのことも、ルナリアさんのことも、コルナリーナさんのことも忘れていました。仲間のみんなを忘れて、ひとりだけロメオさんと暮らしていました。恨まれて当然です。でも、私は思い出しました。だから、今からでも仲良くしたいのです。それではいけないのですか?」

「それは……」

 口ごもるペルラ。アンナは口にすべきかどうか迷いながら、

「私が、アメティスタさんではないからですか?」

「違います。そのようなことは、決してありません」

 それまでの躊躇から一転、考えるより先にペルラは答えていた。

 確かに、一見するとアンナとアメティスタの性格は異なる。

 けれども、機械を修理している時の真剣な表情、そして、その奥にある感情は、同じもの。

 ペルラの慕った姉のものだ。

 だからこそ、アンナのことを思うたび、ペルラの円筒[シリンダ]は高鳴るのだ。

 ペルラの答えを聞き、アンナは言う。

「だったら!……私は、アメティスタさんとは色々違うかも知れません。でも、それでも、アメティスタさんだったころの記憶を持っています。ペルラさんと一緒に笑いたいと思っています」

「ですが、私にはその資格が……」

「資格も三角も関係ないです!私がロメオさんと一緒に居る資格がないって悩んでたとき、ロメオさんも言ってくれました。資格なんか関係ないって。側にいて欲しいって。だから、きっと、それだけで十分なんです。資格なんてブタさんのご飯です」

「……私も、側にいて、よろしいのですか?」

 か細い、今にも消えそうな声で尋ねるペルラ。その声は、無感情のようでいて、小さく震えている。だからアンナはペルラへと伝える。ロメオが自分に言ってくれたあの言葉を。

「もちろんです!私は、ペルラさんのことも家族だって思ってますよ」

「……家族」

「はい、家族です。だから、資格がないとか、役に立たなければいけないとか、気にしないでください。そんなこと考えなくても、ずっと一緒です」

「ずっと……」

「そうです。今度こそ、ペルラさんを置いて、どこかに行ったりしませんよ」

 また、共に暮らしてゆける。指輪によって主人[パドローネ]に縛られた、同じ銀貨[アルジェント]としてではなく、家族として。円筒[シリンダ]が暖かなもので満たされる。水銀[]と共に全身を巡る感情はこれまで経験したことのないもの。ペルラにはその気持ちを伝えるすべが無く、やっとのことで口に出来たのは、ただひと言。

「……アンナ、お姉様」

 そのひと言に、

「はい、なんですか?ペルラさん」

 アンナは親しみのこもった笑顔で答えてくれる。それは、それだけで、もうなにもいらないとペルラに思わせるほどの、ペルラの言葉を受け入れる柔らかな笑み。

「……………………」

「ペルラさん?」

 アンナの呼びかけに、ペルラは意識が現実に引き戻される。どれ程のあいだ惚けていたのだろう。ペルラにはそれすらもわからない。数秘術を援用して与えられた時を操る能力とは間逆、自分だけ刻に取り残されていたかのような錯覚。だが、それはあくまで錯覚。アンナはすぐ隣に居る。今も微笑んでくれている。

「い、いえ、なんでもありません」

 言いながら懐中時計[サポネッタ]を見つめる。針は既に夕食の支度を始めていなければならない時刻を示していた。

「もう帰宅予定時刻を過ぎています。そろそろ帰りましょう、アンナお姉様」

 普段の落ち着きを取り戻したペルラの言葉に、逆に慌てたのはアンナだった。

「時間?」

 と首をかしげ、ペルラの懐中時計[サポネッタ]を見つめたかと思うと、

「ガガーン!もうこんな時間ですか?!これはアンナさんとしたことが大失態です!これは、こうぼうも、こうぼうもー、工房もー……工房、工房といえばお師匠さまで、謝りだから、お師匠さま、ごめんなさい。あれれ?どうしてお師匠さまに謝っているのですか?」

「弘法も筆の誤り、のことでは」

「それでした!すいませんペルラさん、ついつい、おしゃべりし過ぎてしまいました」

 謝るアンナにペルラは笑みを浮かべる。アンナがアメティスタだったあのころ、二人が初めて出会った時の、あの笑顔を。

「いえ、これ以上無いほどに有意義な時間でした」

「そうなのですか?」

「むろんです。ですが、名残惜しくはありますが、帰宅の時間です」

「そうですね。それでは帰りましょう。ロメオさんも皆さんも、きっと待ってます。おなかがぺこんぺこんです」

 傾いた陽に彩られた公園を、アンナとペルラは並んで歩く。

「おなかがなくからかえりましょー、ぺこぺこなくからかえりましょー。ぺこんぺこーん」

 アンナは歌を口ずさみながら。ペルラはその歌に耳を傾けながら。朱色に染まる公園を、家族の夕食を持って、二人は歩く。

 周囲を染める夕焼けは、一日の終わりを告げる。それは、楽しい時間の終焉。けれども、ペルラには明日がある。

 昔のようにイリスがいて、コルナリーナがいて、けれど自分を縛る主人[パドローネ]はいない、思いもしなかった明日がある。

 狼を屠るという使命はすでになく、ロメオとノエルという人狼と同居する、信じられない明日がある。

 姉を失った絶望が、姉と共に過ごす希望へと変わった、夢のような明日がある。

 傾く夕日は、夢のような一日の終わりを告げる。

 だが、自動機械人形[オートマタ]は夢を見ない。

 だから、これは、夢ではない。これは、夢のようで本物の一日の終わり、そして、新たな幸福を探す一日の始まりなのだ。

 だから、ペルラは、その夕日を美しいと思うことが出来る。

 過去に西カルパティアを超えたあの夜も、狼に囲まれ夜明けまで戦ったドナウの朝焼けも、すべの景色は円筒[シリンダ]の奥に焼きついている。

 命じられるままに、仲間と共に狼との死の舞踏を踊り続けたあの日々。

 それは今でも大切な思い出で、けれども、もう、その景色に縋る必要はない。200年もの間、アメティスタお姉様は壊れてはいないと、自由は無くとも、再び一緒にその景色を見ることが出来ると、それだけを希望にピウスに仕えてきた日々。それは今や過去のもの。ペルラはアンナと、新たな光景を探していくことが出来るのだ。

「あの、アンナお姉様、私、来週もお休みを頂いていまして……」

「本当ですか!では、また一緒にお買い物しましょう!」

 アンナの笑顔と、ベルモントの公園に沈む夕焼けと、明日への約束。家族の待つ部屋に向かって歩きながら、新たな思い出を円筒[シリンダ]に刻みつつ、ペルラは答えた。

「はい。――いつまでも、ご一緒いたします」

 

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